大晦日の12月31日(水)は、
開催があった5つの競馬場全てで重賞競走が組まれていた。
同様の事は競馬以外の公営ギャンブルにも当てはまる。
各競技で「年末の大一番」が行われていた。
例年はKEIRINグランプリの車券しか買わないのだが、
2014年の年末は何年かぶりに競艇の舟券、オートレースの車券も買ってみた。
正直、出場選手についてはあまり良くわかっていない。
だが見るべき「数字」は知っている。
その「数字」を知っていれば、「お遊び」程度に楽しむことは出来る。
この年末はこうした競馬以外の公営競技を見ることで、
いくつか新たな発見をする事が出来た。
もちろん競馬が一番楽しいが、
久しぶりに買った競輪、競艇、オートレースも、それぞれの競技特有の楽しさがあった。
そんな楽しさを味わいながら、ふと考えた事がある。
そんな話を書いてみたい。
2013年の夏、参議院議員選挙が行われた。
この参議院議員選挙は「インターネットによる選挙運動」が解禁されてから
初めて行われる選挙だった。
この時、当サイトでは比例区に届け出があった各政党に、
管理人である私・菅野が個人的に主張し続けている
「中央競馬・地方競馬の一体化」について、
インターネットを通して、その意見を求めてみた。
回答を頂くことが出来た政党もあり、その回答を当サイトで掲載する、
といった事もやってみた。
昨年末の衆議院選挙でも同様の事をやろうか、と思ったが、
この時は私の個人的な事情もあり、企画を実施する事は出来なかった。
しかし、各政党に質問してみたい事が一つあった。
それは一部の国会議員によって「合法化」「導入」が進められている
「カジノ」についての質問である。
「国内に外国人旅行者を多数集め、その経済効果を高める為にも、
ギャンブル施設は必要だ」
私はこの意見には賛成だ。
だが、同時に思う。
日本国内には既に「競馬」「競輪」「競艇」「オートレース」といった、
国や地方自治体が主催者となることにより、
開催が合法となっている公営ギャンブルがある。
この4つの公営ギャンブルはそれぞれに楽しさがあり、固定ファンも存在する。
ならば、どうしてわざわざ「カジノ」などという新たなギャンブル施設を
国内に持ち込まなければならないのだろう?
既にある公営ギャンブル場をより魅力的なものにして外国人旅行者にPRする。
どうして、そんな発想がないのだろう?
納得出来ないのは、
「カジノ導入」を推進したい人たちが「合法化」について、
「競馬だって認められているじゃないか」といった形で
既存の公営ギャンブルを例として持ち出す点である。
導入反対派が懸念する「ギャンブル依存症」の問題についても、
「ならば競馬はどうなのか?」「それでは競輪は・・・」といった形で、
例えとして既存の公営ギャンブルを取り上げる。
その競馬・競輪・競艇・オートの現状を彼らは見た上で発言しているのだろうか?
長期化する景気低迷に伴う売上減の問題もある。
競馬における「中央競馬と地方競馬」や「地方競馬同士」に象徴されるように、
お互いがパイの奪い合いをしている現状もある。
2013年3月に廃止になった福山競馬場では、
その日のレースが終わり、正門を出ると目の前に、
西日本各地の公営ギャンブル場がそれぞれの開催日程をPRする看板がズラリと・・・、
などという光景が広がっていた。
それぞれの競技同士も競合関係にあるのだ。
こうした無秩序な競合がそれぞれの主催者における経営体力を弱め、
選手(騎手)や関係者の生活を困窮させる。
こうした現状にメスを入れることなく、
「カジノ」という新たな競合相手を無計画に加えるというのは、
果たして国会議員がやるべき仕事なのだろうか?
だが一方で政治に頼ってばかりもいられない。
「公営ギャンブル」に関わる話は、選挙でなかなか「票」と結びつかない。
結局はそれぞれの競技がそれぞれの立場で、
その競技の魅力を高める努力をしなければならないのだ。
「どうしてカジノを・・・」ではなく、
「カジノ導入」という発想を許した自らを反省すべきなのかもしれない。
私は「競馬Webサイト管理人」なのだから、
「競馬」について自分に出来る努力をしなければならないのだろう。
「どうしてカジノじゃなきゃダメなのですか?」
そんな問いかけをし続ける必要はあるだろう。
一方で同時に「カジノなんかなくても、代わりに競馬があるじゃないか」
という評価・評判を世間から得られるような競馬を追い求めて、
私なりに悪戦苦闘を続けなければならないのだろう。
2015年のスタートに、そんな事を考えてみた。