この日記を長々と書いている時間がありません。
本日30日(土)は3つも重賞競走があるのに・・・。
AかBのいずれかを選ばなければならない場面で
どれだけ考えても「正解」が分からず、
どちらかを選択して先に進むしかない、というケースは辛いです。
しかも間違った方を選択した日には・・・。
ある意味、競馬も同じか・・・(笑)。
これ以上書くと単なる愚痴になりそうなので、この程度で。
ゴメンナサイ。
私がなかなか競馬場に行くことが出来なくなっている間に、
競馬場では色々と新しい試みが始まっています。
ジャパンカップ当日の東京競馬場では、
最も美しく手入れされた馬を担当する厩務員を称えて表彰する
「ベストターンドアウト賞」の審査が行われていました。
行われていた、と言っても、
場内アナウンスで受賞した人馬が発表され、その結果を知っただけなのですが。
でもその場内アナウンスの後、競馬場内が温かい拍手に包まれる瞬間というのは、
いいものだなあ、と思いました。
欲を言えば、本馬場入場時にラジオNIKKEIのアナウンサーさんに発表してもらって、
そのままパドックで表彰式、という形にした方がもっと盛り上がるのではないでしょうか。
受賞馬ドゥーナデンはレースでも5着。
Twitterでも触れましたが、
今年は外国馬が1頭も掲示板に載らないだろうと思っていました。
でもこうしてベストターンドアウト賞受賞馬が5着に食い込むのですから、
「パドックを見る」という事は大切なのだなあ、と再認識させられた瞬間でもありました。
しかし、同時にこんな事を考えました。
もしかすると、最初から外国馬3頭の中から受賞馬を選ぶつもりだったのでは・・・?
もちろん、関係者は否定すると思いますが。
くれぐれも書いておきますが、批判とかではないですよ。
むしろ、それで「正解」だと思います。
だって、遠路はるばる府中までやってきた人馬なのですから。
「お・も・て・な・し」の精神ですよ。
レースそのものは真剣勝負でなければ困りますが、
「ベストターンドアウト賞」は馬券とは無関係ですから
「公正確保」などは考えなくてもいいのです。
だからこんな「お・も・て・な・し」は大いにやるべきだと思います。
こんな話も「あり」でいいのではないでしょうか。
例えば、出走馬全てが日本調教馬というG1レースがあったとします。
その出走馬の中に、
担当する厩務員さんが「明日結婚式を挙げます」という馬がいたとします。
だからベストターンドアウト賞はその人馬が受賞、なんてどうですか?
その馬がパドックでイレこんでいたり、発汗していたり、という場合はマズいですが(笑)、
そうでなければ、むしろ「あるべき姿」ではないでしょうか。
競馬場にいるファンも含めて、みんなでその結婚を祝福することが出来るのですから。
この「ベストターンドアウト賞」という企画ですが、
地方競馬では実例があるのかな?
船橋の「ベストドレッサー賞」もいいですが、
「ベストターンドアウト賞」もやればいいのに・・・。
「お・も・て・な・し」にも使えるし、
更に違う形の演出にも活用できる、いい企画だと思います。
前日付で書いた金沢競馬の話ですが、
この話が騒がしくなって以降、悩み続けていることが1つあります。
それは疑われている人達の中に「元高崎競馬所属」だった人の名前があることです。
高崎競馬が廃止になった時、
競馬関係者の存続運動を私も応援しました。
その後、境町トレセンで競馬を続けることが出来ないかという
「新高崎」の動きも応援しました。
その高崎にいた人達が疑われているという事実を考えると、
当時、応援していた私にも責任があるのかもしれません。
今、名前が挙がっている人達とは全く面識がありません。
でも恐らく彼らは「応援している人たち」の存在を認識していたことでしょう。
「応援」がある種の「勘違い」を産んでしまったのではないか?
「応援」によって彼らが「多くの人達から応援される特別な立場」であると
思い込んでしまったことが、
誤った行動に走らせる原因となったのではないだろうか?
「金沢競馬 八百長糾弾ブログ」で彼らの名前を見つける度に、
そんな事を考えます。
もちろん、全ての事実関係が明らかになっていない以上、
彼らを「クロ」と断言する訳にはいきませんが。
私がそんな活動をしていたのは2004~2005年のこと。
古い話ではありますが、「活動した」という事実は残ります。
あの当時、「高崎」に関わるべきではなかったのでしょうね。
この「高崎」に関する話については、
今回の金沢の1件とは別に「後悔していること」「反省していること」が色々ありますが、
当時、私の意見・行動によってミスリードされてしまった人達の存在を考えると、
この金沢の件でも反省しなければならないのだと思います。
大変申し訳ありませんでした。
この「八百長問題」のその後をしっかりと追いかけ続けることで、
その償いをしなければならないと思っています
外出しなければならない日の場合、
この日記は朝の更新作業を終えた後、
家を出るまでの僅かな時間を使って書くのですが、
本日は多忙な土曜日です。
先に書いてしまいます。
大した内容じゃないですが・・・。
こんな記事を見つけました。
笠松競馬場:何やら楽しげ? 脱走馬の事故受け訓練(毎日新聞)
う~ん・・・、「何やら楽しげ?」とか見出しに書いてしまう毎日新聞の悪意を感じずには・・・。
もっとも笠松競馬の関係者も報道関係者がいるのだから、
「緊張感に欠ける様子」を見せてはイカンでしょう。
死亡事故を受けての訓練なのだし・・・。
やり方も報道関係者に公開することを前提とした工夫が必要だったのではないでしょうか。
馬のかぶり物をした関係者を放馬した馬に見立てて訓練を行ったようですが、
「馬のかぶり物」は要らないでしょう。
ビブスなどを着用した人を走らせる形でも良かった筈です。
実際に馬や人を走らせるのではなく、
「放馬に気づく⇒非常サイレンを鳴らす⇒出入口を締める⇒馬を止める関係者を配置する」
という一連の流れをどの程度の時間で出来るのか、計測しながら訓練する、
というやり方もあったのでは?
この毎日新聞の記事が笠松競馬の再開に悪い影響を与えなければいいのですが・・・。
少し心配です。
今朝は中日新聞の記事をご紹介します。
JBC効果 金沢競馬 全国にPR(中日新聞)
記事中に出てくる谷本正憲・石川県知事のコメントに、
色々なことを考えさせられます。
-全国の地方競馬にとって地方の自助努力だけでは難しい。
中央、地方競馬の連携、助け合いも必要だ-
-すごい力。こういうレースを年一回でもやれば、
地方競馬の維持存続の方向性は出てくる-
正論だと思います。
JBCを見て、「ここまでやれば、金沢競馬は生き残れる」と思ったのでしょう。
でも同時に、
JBCのようなレースを金沢で毎年やるのが困難である点についても、
恐らく知事は気がついているようにも思えます。
金沢には白山大賞典というダートグレードレースがありますが、
レースのレベルだけではなく、その運営のレベルを見ても、
JBCと白山大賞典では大きな差があります。
何度も書いていますが、枠組みを変えるしかないのだと思います。
もちろん「枠組みを変える」ということは、切り捨てなければならない部分もあり、
その「切り捨てなければならない部分」に抵抗する人も存在するのですが。
でもその覚悟がないのであれば、「消滅しても仕方がない」と思うしかないのかも。
「JBCと同じ規模のものが毎年なければ生き残ることが出来ない」
という結論に辿り着き、
それが現状の自分たちには無理だということがハッキリしてしまったのですから。
2005年に名古屋競馬場で初めてJBCが行われた際、
不手際の多さが原因で、当時の愛知県競馬組合は酷評されたのですが、
今回の金沢JBCについて、そんな話は特にないような気がします。
きっと「成功」と呼べる1日だったのでしょう。
でも「成功」の為に必要とされるモノを考えると・・・。
その困難さを思い知らされる結果となったようにも思えるのですが。
4日(月・休)は自宅アパートから一歩も外に出ませんでした。
本当は色々やるべきことがあったのですが、
体調のせいか、何もする気になれず、
ボーッとしながら、グリーンチャンネルのJBC中継を見ていました。
何度か書いていますが、
「何もしない」時はつい余計な事を色々考えてしまいます。
この日もそんな1日でした。
映像で見る金沢競馬場の様子を見ながら、ふとある想いが・・・。
でも今はそれを書かない方がいいのでしょう。
TwitterやFacebookを見ていると、
金沢での1日を満喫された方も多そうですし、
もう少しタイミングを見極めてから書くべきなのかもしれません。
以前、金沢以外の競馬場に関して書いてきた話と同じ事でもありますし。
競馬以外に考えていたことが1つ。
ハフィントンポストで少し前に、こんな記事が出ていて、
自分なりの答えを考え続けていました。
「ふつうの人には夢なんて無いんだよ」(ハフィントンポスト)
私なんて「夢」ばっかりで生きている人間だから、
その「夢」がない「ふつうの人」になったら、何をして生きていけばいいのか・・・。
「夢」そのものが生きていくことが出来るモチベーションだったりします。
だから満足にメシが食えなくても、競馬場に行けなくても、
どうにか生き延びることが出来ているような・・・。
そのモチベーションがなくなったら、
私はたぶん、この世からいなくなっているのだろうな。
だって「生きている」ことが面白くも何ともなくなっちゃうし・・・。
最近、その「夢」を現実に出来るのか、それとも無理なのか、なんて、
ちっぽけな事のように思えることがあります。
むしろ、それを諦めた時に、
代わりに何をモチベーションとして生きていけばいいのか、よくわからないから、
こうして続けているということで。
それを完全に見失った時は、潔くこの世から消えるべきなのでしょうね。
どうせ、ロクな死に方が出来ない人間です。
今のモチベーションを維持し続けたいと思います。
意味不明な日記でスミマセン。