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「いじめ」の話(前編)

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昼休みです。
この日記は競馬以外の話も書く事になっているコンテンツですので、
たまには時事ネタでも。

世間を騒がせている「いじめ」の話でもしましょうか。
「自殺予告」の手紙まで送りつけられてしまった文部科学省ですが、
公式サイト内にこんなページを作って、
自殺を思いとどまるよう、呼びかけています。

いじめを原因とする自殺予告の手紙の公表及びお願いについて
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/06110713.htm

―命というものは、ひとつしかないものです。
そして、命は自分のものだけでなく、
生まれたときにお父さんとお母さんが腕の中に抱き取ってくれたものです。―

「命の大切さ」を訴えているようですね。
その一方で「死んでも解決にはならない。強く生きろ」的なメッセージで、
自殺を思い留まるよう、訴えるケースもあります。
これは著名人系に多いですね。

でもそれで自殺を思い留まるだろうか?
「強くなって、困難を乗り越えろ」、
これは確かに正論かもしれない。
でも「強くなれない奴」はどうするのか?
身体的な理由、経済的な理由、
その他「強くなれない理由」を抱えている奴は
どうするのか?
「死」を選ぶしかないのか?
強くない奴は生きていけない、死ぬしかない社会が
果たして正しい社会だろうか?

「命」が大切なのは「生きる目的」があるからだ、と私は思います。
その「目的」は色々あっていいでしょう。
将来なりたい職業がある。
出会いたい人がいる。
欲しいものがある。
行きたいところがある。
そんな「目的」を見失った人に、
ただ「命は大切です」と言っても、説得力があるでしょうか?

集団・組織というものはある価値観を共有し、
同じベクトルに向かって歩んでいくものです。
その価値観を共有できない者、そのベクトルへの動きについて行けない者、
今、いじめの対象となっているのはそんな人たちではないでしょうか。
違う価値観を持つ者、違うベクトルに向かって進む者、
あるいはそのベクトルへと進む事ができない者、
こうした人たちを受け入れず、
切り捨てようとする社会が、大人の社会の中にもあります。
大人の社会が「価値観」「方向性」の違う者を切り捨てようとしている状況下で、
子供の社会がその様子を真似するから、「いじめ」が発生するのではないですか?

(上から続く)

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