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「絆」なんて要らない

競馬Webサイト管理人の活動日記 » 005)役に立たない日常記 » 「絆」なんて要らない

あの年の3月11日も金曜日でした。
当時、週末の中央競馬における予想記事を某所から請け負っていて、
午後3時の締切に間に合わせるべく、悪戦苦闘していた時に揺れが始まり、
本棚から全ての本が崩れ落ちているというのに、
激しい揺れの中で締切に追われていた原稿を書いていました。
そして週末の中央競馬が中止となり、書いていた原稿もボツということに・・・。

ここ2~3日、首都圏は急に寒くなりました。
あの年も地震の直後はしばらく寒い日が続いていたことを覚えています。
変わらないなあ、あの日から。
何がって?
東日本大震災の1年後、この日記に書いた記事ですが、

思い出したくないし、振り返りたくもない


このネガティブな想いは5年が経過した今でも全く変わりません。
昨日付の日記を書いた後に少し考えたのですが、
この想いがこの5年間の自分を支えているように思う時もあります。
いいことではないのは分かっているけれど。

「競馬Webサイト管理人」としての自分に「絆」は存在しません。
逆に南関東の競馬場に行くと、いつも自分を睨みつけている人がいます。
きっと「お前はもう競馬に関わるな」と言いたいのでしょう。
でもそんな状況の方が楽に思える時があります。
昨日付の日記なんて、そんな状況だからこそ書くことができるのだし。

一方で「競馬Webサイト管理人」ではない時間帯の自分にできた人間関係の方が
ある意味では辛いです。
自分にも親切に接してくれる人たちだからこそ、
こうした人達を裏切らなければならない時のことをどうしても考えてしまいますしね。

要らないですよ、「絆」なんて。
その「絆」のために、時にはどうしても自分を曲げなければならなくなる。
そして自分を曲げたことで「ブレてる」とか言い出す輩も出てくる。
面倒くさい存在でしかないのです。

「3.11」の日に書くべきことではないのは分かっているけれど、
でも自分は未だにそこから抜け出せずにいます。
自分が被災した訳ではないから、この感情を誰かが理解してくれる筈もないのですが。
最後に4年前の日記に書いた記事の一部をコピーしておきます。
あくまで私自身の特別な事情でしかないのでしょうけど。


-自分が日々やっている仕事がある程度の収入につながって
それなりの蓄えがある状況ならば、
自分も被災地に対していくらでも出来ることはあるのですが、
被災地以前に
自分自身が「明日食っていく方法」を模索しなければならない状況です。
しかも被災された方々とは違い、
自分自身の人生選択の結果、
その自己責任としてそんな状況に追い込まれたのです。
誰も同情してくれる筈がありません。
むしろ世間一般的には
「今ここで餓死してでも被災地に100円でも多く拠出せよ」という考え方の方が、
私のような人間に関しては「正解」なのでしょう。
だからそんな状況下で「生きている」自分が辛かったです。
被災地で自己責任でも何でもないのに亡くなる方がたくさんいる中、
自己責任で路頭に迷っている私みたいな人間が生きていていいのかと。
今も状況はそれほど変わりません。
だから「3.11」はあまり思い出したくないのです。
「生きている価値のない自分」を
嫌というほど思い知らされるのですから。

あの当時、首都圏でも余震がしばらく続きました。
自宅アパートにいて揺れを感じる度に考え続けていたことがあります。
「この建物がぶっ潰れてくれないかなあ」
世間的には「生きている価値」のない人間です。
このまま倒壊した建物の中に押し潰されて、
誰にも気づかれないまま冷たくなってしまえば、
きっと誰にも迷惑をかけずに消えることが出来るのでしょう。
悲しんでくれる人など一人もいないでしょうし。
逆に「サイトの更新が止まったよ。アイツももうこの世にはいないんじゃねーの?」
みたいな話で喜んでくれる人もいるのかもしれないし。-



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