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「気ままな競馬ノート」は
メインサイト「WEEKEND DREAM」のサイトリニューアルに伴い、
今後は「WEEKEND DREAM」内のコンテンツとしてお送りすることになりました。
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「WEEKEND DREAM」のサイトリニューアルは9日(火)午後より着手します。
リニューアル作業の進捗状況につきましては、
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あるラジオ番組でたまたま知ったのだが、
7月15日(月・祝)は
任天堂の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」が発売されて
30年にあたる日だったそうだ。

その「ファミコン30周年」関連の記事を検索していたら、
こんなブロガーさんを見つけた。
ファミコンのゲームソフトで最もハマったのが「ダービースタリオン(ダビスタ)」だったらしい。
そのブロガーさんの他の記事を見る限り、競馬ファンではなさそうだ。
そんな人でも「ダビスタ」はハマってしまう存在だったようだ。

「ダビスタ」をきっかけに実際の競馬場に足を運ぶようになった、という人もいるに違いない。
あの当時の競馬雑誌などを見ると、
「騎手になったきっかけ」が「ダビスタ」だったとインタビューで語る騎手もいた。
もしかすると厩務員や牧場関係者の中にも、
「ダビスタ」の影響を受けた人もいたに違いない。

各プレイヤーがゲーム上で育成した競走馬を対戦させるシステムを利用して、
大井競馬場の大型モニターを使った「大会」が企画されたことがあった。
行なわれたのは大井競馬開催日で、
設定されたコースも大井のダートコースだったことを記憶している。
リアルの「競馬」にも影響を与えていたゲームだった。
一方で騎手や競走馬の実名使用が問題になり、裁判沙汰になったりもしたのだけど。

私もこの「ダビスタ」を楽しんだ時期があった。
当時務めていた会社の先輩社員で寝不足になるほどハマった人がいて、
どんなゲームなのだろうと思い、ファミコン本体とこの「ダビスタ」を購入した。
この世に「ダビスタ」が出現する以前から競馬場通いをしていて、
「リアル」の面白さを知っていただけに、
寝不足になるほど「ダビスタ」にハマる、ということはなかった。
でもよく考えられたゲームだったと思う。
私の楽しみ方は「なるべくリアルに」が基本だったので、
未勝利戦を勝ち上がるのに時間がかかる馬を生産してしまってもリセットしたりせず、
「古馬になって、ローカルG3を勝てるぐらいの馬にならないかなあ」
とか考えながら、ゲームを進行していた。
初めて勝った重賞競走は父内国産馬限定の福島・カブトヤマ記念。
これはどういう訳か、今でもはっきりと覚えている(笑)。

この記事を書くにあたり、
今回「ダビスタ」について改めて検索して調べてみたが、
現在も携帯版などが出ているのだそうだ。
色々トラブルもあったし、
今でも時々「ダビスタ」的な考え方に対する批判を目にする事もある。
しかし、多くの人に「競馬」への関心を呼び起こしたゲームでもある。
個人的にはこれほど現実の「競馬」に影響を与えた
「競馬文化」的な存在も珍しいと思う。


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2006年の菊花賞でのことだった。
優勝馬は武幸四郎騎手騎乗のソングオブウインド。
そのソングオブウインドについて、
最終レース終了後に行なわれたレース回顧のイベントで、
こんな話があった事を覚えている。

このレース回顧のイベントは、
まず優勝騎手以外の騎手がレースVTRを見ながら「敗者の弁」を語り、
その後に改めて優勝騎手が登場して勝因などを語る、
というスタイルだった。
その「敗者」の一人として登場したのが武豊騎手。
この菊花賞ではアドマイヤメインに騎乗し、3着に敗れていた。

武豊騎手がこんな話を披露した。
優勝馬ソングオブウインドのデビューから3戦目までの
手綱を取っていたのは武豊騎手だった。
最後に手綱を取った3戦目は阪神のダート1800メートル戦で行なわれた未勝利戦。
このレースで3着に敗れた直後、
武豊騎手は同馬を管理する栗東・浅見秀一厩舎のスタッフに
こんな進言をしたのだという。

「この馬はダート1400メートル戦の方が向いていると思う」

イベント会場は爆笑に包まれた。
あの武豊騎手が3度も騎乗して
「ダート1400メートルが向く」と思った馬が、
後に芝3000メートル戦の菊花賞を勝ってしまったのだから。
ちなみに武豊騎手の進言を受けて、
ソングオブウインドはデビュー4戦目にダート1400メートル戦に出走している。
この時は武幸四郎騎手が騎乗して3着だった。

今、どうしてこんな話を書いているのか?
言うまでもない。
昨年のNHKマイルカップ優勝馬カレンブラックヒルが
未経験のダート戦であるG1・フェブラリーSに挑んだのは、
主戦騎手である秋山真一郎騎手の進言があったからだと報じられている。
インターネット上では秋山騎手への批判の声も散見される。
私は「秋山騎手の進言」という報道を目にした時、
すぐにこのソングオブウインドの件を思い出した。

あの武豊騎手でも
「ソングオブウインドはダート1400メートル向き」という進言を厩舎サイドにしてしまうのだ。
騎手はその馬の背中や手綱を通して、
「馬の適性を一番良く知っている」と我々競馬ファンは思っている。
それはファンだけではなく、厩舎関係者も同様なのだろう。
しかしその見極めは日本を代表する名手「武豊」であっても
限界があるということに違いない。
秋山騎手の「カレンブラックヒルはダートも問題はない」という判断も、
同様のものなのだろう。
「騎手からの進言」は絶対的なものでないと考えるべきではないのか。

「ダート適性」とは全く別の所に敗因があった可能性もある。
そもそも昨年の天皇賞・秋以来の実戦なのだ。
休養明けの一戦がこのG1戦という点に問題はなかったのか?
他にもレース後に秋山騎手が語った「隣の馬」の話も含めて、
検証すべき材料はいくつもあるだろうし。

秋山騎手を庇うつもりはない。
しかし今年のフェブラリーSは
「騎手からの進言」の存在があまりにも大きくなり過ぎた。
カレンブラックヒルの単勝1番人気に
秋山騎手自身が驚いたのではないだろうか。
もう少し気楽な立場でレースに挑むことが出来ていたら・・・。
もちろん勝負事に「タラレバ」は禁物なのだけど。

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私は年に何度かしか競輪の車券を買わない。
遊ぶお金の少ない人間なので、
競輪よりも大好きな競馬の方に多くのお金を注ぎ込みたいからである。
それでもたまに車券を買って競輪を見ていると様々な発見がある。
それは同じギャンブルとして「予想」に関する発見だったり、
競馬と運営方法が異なる点についての発見だったりして、
いい勉強になることも多いのだが。

競輪中継を見ていると、
時々「敢闘門」という言葉が出てくる。
選手が入出場するゲートのことである。
恐らく選手たちが「敢闘精神」を持ってレースに挑むから、
あのゲートを「敢闘門」と呼ぶようになったのだろう。

「敢闘門」は競輪用語だが、
「敢闘精神」という言葉は競輪のみで使われる言葉ではない。
他のスポーツ競技でも用いられることがある。
競馬にも当てはまるだろう。

その競馬における「敢闘精神」について、
多くの方からお叱りを頂く可能性を恐れずに書こうと思う。
最近、特に地方競馬で「敢闘精神の欠如」を感じる瞬間がある。
その馬の臨戦過程を見る限り
「出走手当の事しか頭にないのでは?」と思うような関係者の存在を感じることがある。
あるいはダートグレードレースで
JRA所属馬との対戦でレース前から白旗を挙げているとしか思えない人馬が
出走していることもある。
そのJRA所属馬はマイペースで楽々と逃げているのだ。
「オレたちのホームコースで好き勝手な真似はさせない」と
玉砕覚悟でその馬に競りかける地元馬がいれば、
仮にその馬がシンガリ負けでも納得するのだけど。
その競りかけられたJRA所属馬がゴール前で脚が上がって
着順を落とすようなことになれば、
競りかけた地元馬を褒め称えたくなるのだけど。

もちろん地方競馬関係者の中にも「敢闘精神」に満ち溢れた人たちはたくさんいる。
一方でJRAにも「敢闘精神」という視点から疑問を感じるレースはある。
でも「敢闘精神の欠如」を露骨に感じる瞬間は、
残念ながら地方競馬の方が多い。
IPATで地方競馬の馬券を購入することが可能となり、
「初めて地方競馬の馬券を買いました」という人ほど、
地方競馬における「敢闘精神」に疑問を感じている人が多い気がする。
少なくとも私の周囲ではそうだ。
最近になって、

「菅野さんがいつも地方競馬の面白さを語ってくれるから買ってみたけど、
でもこれはちょっと・・・」

といったメールを頂くようになった。

もっとも「敢闘精神」に欠ける地方競馬関係者を
一方的に悪者にする訳にもいかないのだろう。
賞金水準の低下など
地方競馬関係者の「敢闘精神」に影響を与える要因が色々あるのだろうし。

多くの場合、各地方競馬を主催する「◯◯競馬組合」の管理者は
構成する地方自治体の首長が務めている。
「管理者」として年に何度か競馬場に訪れる県知事などが
ファンにこんな挨拶をする事がある。

「これからもファンの皆さんに魅力溢れるレースをご提供します!!」

その知事さんは「魅力溢れるレース」をどんなレースをイメージしているのだろう。
私は出走する人馬が全て「敢闘精神」を持って挑むレースであるように思える。
そんなレースこそが思わぬ高配当をもたらすのだし。
その「敢闘精神」を競馬関係者たちから引き出すことができない競馬主催者は
無理に存続の道を模索しても仕方がないのだろう。

「自分が調教した馬で他の人の強い馬を負かすのが、
競馬をやっていて楽しい・面白いと思える瞬間です」

既に廃止になったある競馬場の調教師さんが
こんなことを話していたのを思い出す。
今の地方競馬関係者にその楽しさ・面白さはあるのだろうか?

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日頃は中央競馬の馬券しか買わない競馬ファンに
「笠松競馬」をアピールした存在と言えば、
オグリキャップ、ライデンリーダー、
そして引退を発表した安藤勝己騎手だと私は思う。

オグリキャップは1990年の有馬記念を優勝した後に引退。
翌年1月の引退式は京都競馬場と東京競馬場だけではなく、
デビューの地である笠松競馬場でも行われている。
地方からJRAに移籍した馬が
デビューした地方競馬場で引退式を行うのは珍しいことではないだろうか。
同馬の所有者が変わった際にあった取り決めが理由だったようだが、
きっと笠松のファンもこの引退式が笠松競馬場で行なわれた事を、
当然の事として受け止めていたに違いない。

その引退式でオグリキャップの手綱を取ったのが安藤勝己騎手。
当時は笠松競馬所属で、
JRAに移籍する以前の主戦騎手でもあった。
その安藤勝己騎手もオグリキャップと同じように、
2003年に笠松競馬からJRAに移籍している。

安藤勝己騎手も笠松競馬場で引退式を行うのだろうか?
この記事を書いている時点ではそのような発表はない。
そもそも笠松競馬場に通い続けるファンにとって、
安藤勝己騎手とはどんな存在なのだろう?
そんな事をつい考えてしまう。

内田博幸騎手も安藤勝己騎手と同様に、
地方競馬からJRAへの移籍を経験している。
川崎記念が行なわれた30日(水)、
内田博幸騎手は川崎記念以外のレースでも騎乗があった。
その馬は南関東の所属で、
内田騎手は南関東時代と同じ「胴青 赤山形一文字 袖白」の服色で登場した。
JRAに移籍後も彼はこのような形で南関東で騎乗するケースが多い。
もちろん「古巣」への想いがこのような形での騎乗を実現させているのだろう。

そんな内田博幸騎手の姿を喜ぶファンはたくさんいる。
だが一部ではあるが
「この人はもうJRAの騎手だから」
と冷ややかな見方をするファンも実在する。
そのような見方を「悪い」と批判するつもりはない。
「所属を変える」という出来事と
このような感情的な問題はどうしてもセットとなってしまうのだから。

JRAに移籍後の安藤勝己騎手も
「JRA所属騎手」として笠松競馬場で騎乗する機会が何度かあった。
だがその機会は内田博幸騎手ほどは多くはない。
笠松で行われるダートグレードレースがなくなってしまったことも理由の一つだろう。
その笠松競馬場に登場した際も
服色は笠松時代の「胴青、白山形一本輪、袖黄」ではなく、馬主服だった。
もちろんルールなのだから全く問題はない。
だが内田博幸騎手と違い、
「古巣」との間に距離が出来てしまった印象を受けるのは私だけだろうか。
だからこそ「笠松競馬場での引退式」があるのか?
実現しても、ファンがその引退式を受け入れるのか?
どうしても気になってしまう。
内田騎手のケースでも感情的な何かを感じてしまう人がいるというのに・・・。

その安藤勝己騎手がJRAに移籍する際、
中央と地方の「ダブル免許制度」が議論となったことがあった。
当時、武豊騎手が競馬雑誌のインタビューで
「ダブル免許制度が実現したら、平日は大井で騎乗したい」
などとコメントしていた記憶もある。
しかし安藤勝己騎手自身がこの「ダブル免許」を望まなかったこと、
また地方競馬間でも
騎乗できるエリアに制限があるなどの矛盾が指摘されたこともあって、
この議論は自然消滅ということになってしまった。

多くの人が安藤勝己騎手を
「地方競馬からJRAに移籍したパイオニア的存在」と評価する。
私もその評価には同感だ。
だがその安藤勝己騎手の存在を競馬界の「改革」に結びつけることが出来ないまま、
10年の月日が流れてしまった印象がある。

もちろん安藤勝己騎手が悪い訳ではないし、
誰かにその責任を押し付けることは出来ない。
しかしその安藤勝己騎手のケースをきっかけに、
競馬関係者やファンの「所属」に対する考え方を変えることが
出来なかったことだけは事実だろう。

もし笠松競馬場で安藤勝己騎手の引退式が実現しないのだとすれば、
「この10年間、日本の競馬は何も変わらなかった」ということなのかもしれない。
もちろん「変わらなかった」ということを肯定する人もいるのだから、
これ以上は何も言えないのだが。
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「これがドバイワールドカップ2着の実力!!」
と言ってしまうのは安易すぎるだろうか。

だが枠順が発表された時、
思わずニヤリとした穴党ファンもいた筈だ。
エスポワールシチーとトウショウフリークという、
簡単には前を譲ってもらえなさそうな馬がいる。
そんなメンバーを相手にトランセンドは大外枠を引いてしまったのだ。
「もしかして」と思った人は私だけではなかっただろう。
前走の大井・JBCクラシックでもスマートファルコンにハナを譲り、
最後まで捕まえることが出来ずに完敗(2着)という結果だったのだし。

だがその「もしかして」は
スタート直後の1コーナーで早くも幻となった。
大外枠であってもハナを奪いに行くトランセンドのスタイルには
全く変化はなかったのだ。
トランセンドがハナを主張した以上、
エスポワールシチーもトウショウフリークも
抵抗する訳にはいかない。
1000メートル通過は60秒9。
いつの間にかレースの流れは落ち着いたものとなってしまった。

完全にトランセンドの流れとなった。
苦しくなったのはその直後でマークを試みたエスポワールシチーの方だった。
直線に入るとその差は詰まるどころか、逆にどんどん広がっていき、
後方から追い込んできたワンダーアキュートにも並ばれる。
その差は2馬身。
トランセンドの完勝だった。

「ハナを奪えず、レースの主導権を握ることが出来ない?」
「スマートファルコンに敗れた前走に続いて連敗?」

その可能性に賭けた穴党ファンたちは
ドバイワールドカップ2着馬の実力に脱帽せねばならなかった。
トランセンドはこれでジャパンカップダート2連覇。
果たして今年は・・・?


2011年12月4日(日)
阪神11R
第12回ジャパンカップダート(G1)
阪神・ダート1800メートル

1着8枠16番トランセンド(57・藤田伸二) 1分50秒6
2着5枠 9番ワンダーアキュート(57・和田竜二) 2
3着3枠 6番エスポワールシチー(57・佐藤哲三) ハナ
4着2枠 4番ラヴェリータ(55・武豊) 1/2
5着7枠13番ダノンカモン(57・福永祐一) クビ 

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今年のジャパンカップも2年前と同様に「裁決問題」がクローズアップされる結果となった。
「裁決問題」というものはどうしても後々まで尾を引いてしまうものである。

池添謙一騎手をはじめとするオルフェーヴル陣営によるレース後のコメントに対して、
批判的な見解がネット上で語られている。
彼を擁護するつもりはない。
だが競馬界における「政治的視点」で考えると、
あのコメントは関係者向けのアピールであったに違いない。
「あの不利がなければ勝っていたのは自分だ」と主張するのは
「次」も池添騎手が手綱を取り、
栗東・池江泰寿厩舎が調教を担当する上で、
必要だったということなのだろう。

このレースではレッドカドーのジェラルド・モッセ騎手も
フェノーメノとトーセンジョーダンの進路の取り方について走行妨害を主張し、
申し立てを行なっている。
パトロールビデオを見る限り、
モッセ騎手の申し立ても着順が変更になるレベルとは思えない。
だがモッセ騎手としては自らが不利を受け、
「本当はもっと上の着順を手にすることが出来た筈だ」と主張しなければ、
彼も「次」がなかったのかもしれない。
その意味でこの申し立ては池添騎手のコメントと同様だろう。
ファンに対する印象は良くない。
言葉は悪いが「負け惜しみ」「言い訳」だと受け止める人もいるだろう。
だがそんな主張をしなければ、
競馬社会で「騎手」として生きていくのが難しいのかもしれない。
難しい時代になったものだ。

パトロールビデオを何度も見た。
YouTubeにアップされていた、レースを上空から見た映像も見た。
ジェンティルドンナの岩田康誠騎手にとって、
自分が勝つ為にはあの選択肢しかなかっただろう。
ビートブラックがまだ逃げ粘っていた時、
外にはオルフェーヴルという「壁」が出来ていた。
馬の癖なのか、
オルフェーヴルはジェンティルドンナに対して幅寄せしているようにも見える。
そのオルフェーヴルを先に行かせ、
自分はビートブラックを交わしてから追い込んでいたのでは手遅れだ。
オルフェーヴルに体当たりしてでも自分のスペースを確保するしか術はない。
岩田騎手としては騎乗停止処分も覚悟した上での判断だったのかもしれない。

もしこのレースがG1ではなかったら、
岩田騎手は同じ判断をしただろうか。
条件クラスの競馬で「騎乗停止も覚悟」という乗り方をしただろうか。
このレースがG1、しかも国内最高峰のジャパンカップだったからこその
判断だったということではないのか?
来年からのルール変更で、
「降着なし、騎手は騎乗停止」というケースが増えることが予想される。
ということは今回の岩田騎手のような判断をする騎手が
G1レースの度に出現する可能性もあるということなのかもしれない。

池添謙一騎手、ジェラルド・モッセ騎手、そして岩田康誠騎手。
今回のジャパンカップにおいてこの3人の騎手は
結果的にこんな事を教えてくれたのかもしれない。

-日本の競馬は変わってしまった-

いや「変わってしまった」などと、
ネガティブに受け止めるべきではないのかもしれない。
もしかすると海外は以前からそんな傾向であり、
日本の競馬もようやく「世界標準」になったという見方もあるのだろうし。
でもその変化は果たして肯定的に受け止めるべきものなのだろうか?
そんな疑問に対し、私はまだ「YES」とも「NO」とも言えずにいるのだけれど。


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優勝馬ブルーコンコルドの口取り

ブルーコンコルド


11月5日(月)は川崎競馬場で
JBC競走(クラシック・スプリント・レディスクラシック)が行われる。

川崎でJBCが行われるのは2006年以来、2度目となる。
その2006年のJBCは例年と大きな違いが2つあった。
ひとつは2日間に渡って行なわれたということ。
もう一つは例年なら「JBCスプリント」として行われるレースが
この年だけは「JBCマイル」として行なわれたこと。

今年2012年は例年通り、1日に全てのレースを行い、
JBCスプリントも川崎・ダート1400メートル戦で行われる。
だから当時を振り返るとつい「どうして?」とツッコミを入れたい気分になる。
でもその点を改めて指摘しても仕方がないだろう。
もう6年も前の事なのだから。

しかしこの年「JBCスプリント」が「JBCマイル」として行なわれたことは
勝ったブルーコンコルドにとっては意味を持つものだったのかもしれない。
何故なら名古屋で行なわれた「JBCスプリント」の覇者だったのだから。
管理する服部利之調教師も、鞍上の幸英明騎手も、
「スプリント」でも「マイル」でも優勝することが出来た点を強調し、
喜んでいたことを記憶している。

レース後、ブルーコンコルドの様子を見ていて、あることに気がついた。
川崎競馬場の検量室前を周回しながら口取りを待つブルーコンコルドは、
誰かが自分にカメラを向けていることに気がつくと、
自ら歩みを止めてそのカメラの方に顔を向ける。
まるでカメラの前でポーズを取っているようにも思えた。
写真を撮られることに慣れていて、
勝利した自分に注目が集まっていることを理解しているような姿だった。

気のせいかもしれない。
だが検量室前などに立ち入るチャンスが滅多にない自分には、
その姿が王者が持つ独特の個性というか、貫禄のようなものに思えた。
スターらしくもあり、
微笑ましくも思えるその姿は今でもはっきりと覚えている。


2006年11月2日(木)
川崎10R
JBCマイル(第6回JBCスプリント、G1)
川崎・ダート1600メートル
 
1着4枠 6番ブルーコンコルド(JRA・57・幸英明) 1分39秒6
2着3枠 4番メイショウバトラー(JRA・55・佐藤哲) 2
3着1枠 1番リミットレスビッド(JRA・57・岩田康) 2
4着6枠10番コアレスタイム(船橋・57・的場文) 4
5着4枠 5番ジルハー(川崎・57・坂井英) 1 1/2 
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「どうしてそんな競馬になってしまったのか?」について、
改めて書くことに何の意味もないのかもしれない。
あの事件との関連性についてはどう書いても憶測でしかない。
しかし後藤浩輝騎手騎乗のローエングリンと
吉田豊騎手騎乗のゴーステディという
2頭の逃げ馬が顔を揃えることが明らかになった時点で、
その可能性を予測していた人は確かにいた。
下世話な話だが、それは仕方のないことだったのだろう。

1000メートル通過は56秒9。
この二人が同型馬に騎乗すると
こんなハイペースになってしまうのは避けられないものなのだろうか?
レース後、JRAにはファンからの抗議の電話・メールが殺到したという。
この2頭に関係する馬券を買っていた人にとっては
納得出来ないレースだったに違いない。
こんなレースに対しては怒るべきなのか?それとも?
私は未だに答えを出すことが出来ない。
だが当時は釈然としない「何か」を感じた人は多かったに違いない。

レースはシンボリクリスエスが勝って、
天皇賞・秋2連覇となった。
そのシンボリクリスエスは8枠18番。
東京・芝2000メートル戦では不利と言われる大外枠である。
しかしこんな超ハイペースになってしまうと、
枠順の有利・不利など関係なくなってしまうということなのか。
レース後の私はシンボリクリスエスが大外枠を引いていたことさえ忘れていた。

現在は種牡馬として数多くの活躍馬をレースシーンに送り出す
シンボリクリスエスが勝ったG1レースだけに、
後世に語り継ぐ必要のあるレースであることは間違いない。
だが1000メートル通過56秒9の理由をどう語るべきかを考えると、
少々悩んでしまうレースでもある。
だから印象深いレースでもあるのだけど・・・。


2003年11月2日(日)
東京11R
第128回天皇賞・秋(G1)
東京・芝2000メートル

1着8枠18番シンボリクリスエス(58・ペリエ) 1分58秒0
2着4枠 7番ツルマルボーイ(58・横山典弘) 1 1/2
3着2枠 4番テンザンセイザ(58・藤田伸二) 1 1/2
4着1枠 2番エイシンプレストン(58・福永祐一) 1/2
5着6枠12番カンファーベスト(58・安藤勝己) 1/2 

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初出走、初騎乗、初勝利、初めての重賞勝利、
そして初めてのG1勝利・・・。
今日の日本競馬界を代表するホースマン達にも、
「初めて」の瞬間は実在する。

今年もルーラーシップで
香港・クイーンエリザベス2世カップを制するなど、
国内外でG1タイトルを獲得している角居勝彦調教師(栗東)。
そんな名調教師が初めて勝利したG1レースが、
このデルタブルースで勝利した菊花賞だった。
この菊花賞以前にJRAで挙げた重賞タイトルは
ブルーイレヴンで制した2002年の東京スポーツ杯2歳Sと
2004年の関屋記念だけだった同調教師。
この勝利がその後の飛躍へのきっかけだったのかもしれない。

私は当時、
このレースを京都競馬場で関西在住の知人と見ていた。
ゴールの瞬間、「岩田やりよった!!」と思わず叫んだ彼の姿が忘れられない。
彼は園田や姫路で騎乗する岩田康誠騎手を見続けている。
当時はまだ地方競馬所属のジョッキーだった。
その岩田騎手が中央のG1タイトルを獲得。
同騎手にとっては初めてのG1勝利だった。
今ではJRA所属となり、
今年はついにダービージョッキーとなった岩田康誠騎手。
デルタブルースで勝利した菊花賞は、
現在は日本競馬界を代表する騎手である彼にとって、
大きなきっかけとなるレースだったのかもしれない。

それから8年が経過した今だからこそ、
言えることなのかもしれない。
でも目の前で今行われるレースが後々の・・・・、
などと考えながらレースを見るのはワクワクするものである。
今年の菊花賞は果たして・・・?


2004年10月24日(日)
京都11R
第65回菊花賞(G1)
京都・芝3000メートル

1着8枠18番デルタブルース(57・岩田康誠) 3分5秒7
2着3枠 5番ホオキパウェーブ(57・横山典弘) 1 1/4
3着1枠 1番オペラシチー(57・佐藤哲三) 1/2
4着7枠15番コスモバルク(57・五十嵐冬樹) ハナ
5着6枠11番ストラタジェム(57・福永祐一) 1/2 

プロフィール

菅野一郎
(かんのいちろう・本名同じ)
「もっと競馬をやりたいな」で、
「第1回Gallopエッセー大賞(2005年)」において、
佳作を受賞。
現在、競馬読み物Webサイト
「WEEKEND DREAM」管理人を務める。
時には厳しく、時には温かく愛情を込めて、「競馬の未来」を語ります。

※「プロフィール詳細・経歴」もご覧ください


私・菅野へのご連絡は以下のメールアドレスまでお願いします。

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