02)独り言の最近のブログ記事

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あるラジオ番組でたまたま知ったのだが、
7月15日(月・祝)は
任天堂の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」が発売されて
30年にあたる日だったそうだ。

その「ファミコン30周年」関連の記事を検索していたら、
こんなブロガーさんを見つけた。
ファミコンのゲームソフトで最もハマったのが「ダービースタリオン(ダビスタ)」だったらしい。
そのブロガーさんの他の記事を見る限り、競馬ファンではなさそうだ。
そんな人でも「ダビスタ」はハマってしまう存在だったようだ。

「ダビスタ」をきっかけに実際の競馬場に足を運ぶようになった、という人もいるに違いない。
あの当時の競馬雑誌などを見ると、
「騎手になったきっかけ」が「ダビスタ」だったとインタビューで語る騎手もいた。
もしかすると厩務員や牧場関係者の中にも、
「ダビスタ」の影響を受けた人もいたに違いない。

各プレイヤーがゲーム上で育成した競走馬を対戦させるシステムを利用して、
大井競馬場の大型モニターを使った「大会」が企画されたことがあった。
行なわれたのは大井競馬開催日で、
設定されたコースも大井のダートコースだったことを記憶している。
リアルの「競馬」にも影響を与えていたゲームだった。
一方で騎手や競走馬の実名使用が問題になり、裁判沙汰になったりもしたのだけど。

私もこの「ダビスタ」を楽しんだ時期があった。
当時務めていた会社の先輩社員で寝不足になるほどハマった人がいて、
どんなゲームなのだろうと思い、ファミコン本体とこの「ダビスタ」を購入した。
この世に「ダビスタ」が出現する以前から競馬場通いをしていて、
「リアル」の面白さを知っていただけに、
寝不足になるほど「ダビスタ」にハマる、ということはなかった。
でもよく考えられたゲームだったと思う。
私の楽しみ方は「なるべくリアルに」が基本だったので、
未勝利戦を勝ち上がるのに時間がかかる馬を生産してしまってもリセットしたりせず、
「古馬になって、ローカルG3を勝てるぐらいの馬にならないかなあ」
とか考えながら、ゲームを進行していた。
初めて勝った重賞競走は父内国産馬限定の福島・カブトヤマ記念。
これはどういう訳か、今でもはっきりと覚えている(笑)。

この記事を書くにあたり、
今回「ダビスタ」について改めて検索して調べてみたが、
現在も携帯版などが出ているのだそうだ。
色々トラブルもあったし、
今でも時々「ダビスタ」的な考え方に対する批判を目にする事もある。
しかし、多くの人に「競馬」への関心を呼び起こしたゲームでもある。
個人的にはこれほど現実の「競馬」に影響を与えた
「競馬文化」的な存在も珍しいと思う。


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2006年の菊花賞でのことだった。
優勝馬は武幸四郎騎手騎乗のソングオブウインド。
そのソングオブウインドについて、
最終レース終了後に行なわれたレース回顧のイベントで、
こんな話があった事を覚えている。

このレース回顧のイベントは、
まず優勝騎手以外の騎手がレースVTRを見ながら「敗者の弁」を語り、
その後に改めて優勝騎手が登場して勝因などを語る、
というスタイルだった。
その「敗者」の一人として登場したのが武豊騎手。
この菊花賞ではアドマイヤメインに騎乗し、3着に敗れていた。

武豊騎手がこんな話を披露した。
優勝馬ソングオブウインドのデビューから3戦目までの
手綱を取っていたのは武豊騎手だった。
最後に手綱を取った3戦目は阪神のダート1800メートル戦で行なわれた未勝利戦。
このレースで3着に敗れた直後、
武豊騎手は同馬を管理する栗東・浅見秀一厩舎のスタッフに
こんな進言をしたのだという。

「この馬はダート1400メートル戦の方が向いていると思う」

イベント会場は爆笑に包まれた。
あの武豊騎手が3度も騎乗して
「ダート1400メートルが向く」と思った馬が、
後に芝3000メートル戦の菊花賞を勝ってしまったのだから。
ちなみに武豊騎手の進言を受けて、
ソングオブウインドはデビュー4戦目にダート1400メートル戦に出走している。
この時は武幸四郎騎手が騎乗して3着だった。

今、どうしてこんな話を書いているのか?
言うまでもない。
昨年のNHKマイルカップ優勝馬カレンブラックヒルが
未経験のダート戦であるG1・フェブラリーSに挑んだのは、
主戦騎手である秋山真一郎騎手の進言があったからだと報じられている。
インターネット上では秋山騎手への批判の声も散見される。
私は「秋山騎手の進言」という報道を目にした時、
すぐにこのソングオブウインドの件を思い出した。

あの武豊騎手でも
「ソングオブウインドはダート1400メートル向き」という進言を厩舎サイドにしてしまうのだ。
騎手はその馬の背中や手綱を通して、
「馬の適性を一番良く知っている」と我々競馬ファンは思っている。
それはファンだけではなく、厩舎関係者も同様なのだろう。
しかしその見極めは日本を代表する名手「武豊」であっても
限界があるということに違いない。
秋山騎手の「カレンブラックヒルはダートも問題はない」という判断も、
同様のものなのだろう。
「騎手からの進言」は絶対的なものでないと考えるべきではないのか。

「ダート適性」とは全く別の所に敗因があった可能性もある。
そもそも昨年の天皇賞・秋以来の実戦なのだ。
休養明けの一戦がこのG1戦という点に問題はなかったのか?
他にもレース後に秋山騎手が語った「隣の馬」の話も含めて、
検証すべき材料はいくつもあるだろうし。

秋山騎手を庇うつもりはない。
しかし今年のフェブラリーSは
「騎手からの進言」の存在があまりにも大きくなり過ぎた。
カレンブラックヒルの単勝1番人気に
秋山騎手自身が驚いたのではないだろうか。
もう少し気楽な立場でレースに挑むことが出来ていたら・・・。
もちろん勝負事に「タラレバ」は禁物なのだけど。

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私は年に何度かしか競輪の車券を買わない。
遊ぶお金の少ない人間なので、
競輪よりも大好きな競馬の方に多くのお金を注ぎ込みたいからである。
それでもたまに車券を買って競輪を見ていると様々な発見がある。
それは同じギャンブルとして「予想」に関する発見だったり、
競馬と運営方法が異なる点についての発見だったりして、
いい勉強になることも多いのだが。

競輪中継を見ていると、
時々「敢闘門」という言葉が出てくる。
選手が入出場するゲートのことである。
恐らく選手たちが「敢闘精神」を持ってレースに挑むから、
あのゲートを「敢闘門」と呼ぶようになったのだろう。

「敢闘門」は競輪用語だが、
「敢闘精神」という言葉は競輪のみで使われる言葉ではない。
他のスポーツ競技でも用いられることがある。
競馬にも当てはまるだろう。

その競馬における「敢闘精神」について、
多くの方からお叱りを頂く可能性を恐れずに書こうと思う。
最近、特に地方競馬で「敢闘精神の欠如」を感じる瞬間がある。
その馬の臨戦過程を見る限り
「出走手当の事しか頭にないのでは?」と思うような関係者の存在を感じることがある。
あるいはダートグレードレースで
JRA所属馬との対戦でレース前から白旗を挙げているとしか思えない人馬が
出走していることもある。
そのJRA所属馬はマイペースで楽々と逃げているのだ。
「オレたちのホームコースで好き勝手な真似はさせない」と
玉砕覚悟でその馬に競りかける地元馬がいれば、
仮にその馬がシンガリ負けでも納得するのだけど。
その競りかけられたJRA所属馬がゴール前で脚が上がって
着順を落とすようなことになれば、
競りかけた地元馬を褒め称えたくなるのだけど。

もちろん地方競馬関係者の中にも「敢闘精神」に満ち溢れた人たちはたくさんいる。
一方でJRAにも「敢闘精神」という視点から疑問を感じるレースはある。
でも「敢闘精神の欠如」を露骨に感じる瞬間は、
残念ながら地方競馬の方が多い。
IPATで地方競馬の馬券を購入することが可能となり、
「初めて地方競馬の馬券を買いました」という人ほど、
地方競馬における「敢闘精神」に疑問を感じている人が多い気がする。
少なくとも私の周囲ではそうだ。
最近になって、

「菅野さんがいつも地方競馬の面白さを語ってくれるから買ってみたけど、
でもこれはちょっと・・・」

といったメールを頂くようになった。

もっとも「敢闘精神」に欠ける地方競馬関係者を
一方的に悪者にする訳にもいかないのだろう。
賞金水準の低下など
地方競馬関係者の「敢闘精神」に影響を与える要因が色々あるのだろうし。

多くの場合、各地方競馬を主催する「◯◯競馬組合」の管理者は
構成する地方自治体の首長が務めている。
「管理者」として年に何度か競馬場に訪れる県知事などが
ファンにこんな挨拶をする事がある。

「これからもファンの皆さんに魅力溢れるレースをご提供します!!」

その知事さんは「魅力溢れるレース」をどんなレースをイメージしているのだろう。
私は出走する人馬が全て「敢闘精神」を持って挑むレースであるように思える。
そんなレースこそが思わぬ高配当をもたらすのだし。
その「敢闘精神」を競馬関係者たちから引き出すことができない競馬主催者は
無理に存続の道を模索しても仕方がないのだろう。

「自分が調教した馬で他の人の強い馬を負かすのが、
競馬をやっていて楽しい・面白いと思える瞬間です」

既に廃止になったある競馬場の調教師さんが
こんなことを話していたのを思い出す。
今の地方競馬関係者にその楽しさ・面白さはあるのだろうか?

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日頃は中央競馬の馬券しか買わない競馬ファンに
「笠松競馬」をアピールした存在と言えば、
オグリキャップ、ライデンリーダー、
そして引退を発表した安藤勝己騎手だと私は思う。

オグリキャップは1990年の有馬記念を優勝した後に引退。
翌年1月の引退式は京都競馬場と東京競馬場だけではなく、
デビューの地である笠松競馬場でも行われている。
地方からJRAに移籍した馬が
デビューした地方競馬場で引退式を行うのは珍しいことではないだろうか。
同馬の所有者が変わった際にあった取り決めが理由だったようだが、
きっと笠松のファンもこの引退式が笠松競馬場で行なわれた事を、
当然の事として受け止めていたに違いない。

その引退式でオグリキャップの手綱を取ったのが安藤勝己騎手。
当時は笠松競馬所属で、
JRAに移籍する以前の主戦騎手でもあった。
その安藤勝己騎手もオグリキャップと同じように、
2003年に笠松競馬からJRAに移籍している。

安藤勝己騎手も笠松競馬場で引退式を行うのだろうか?
この記事を書いている時点ではそのような発表はない。
そもそも笠松競馬場に通い続けるファンにとって、
安藤勝己騎手とはどんな存在なのだろう?
そんな事をつい考えてしまう。

内田博幸騎手も安藤勝己騎手と同様に、
地方競馬からJRAへの移籍を経験している。
川崎記念が行なわれた30日(水)、
内田博幸騎手は川崎記念以外のレースでも騎乗があった。
その馬は南関東の所属で、
内田騎手は南関東時代と同じ「胴青 赤山形一文字 袖白」の服色で登場した。
JRAに移籍後も彼はこのような形で南関東で騎乗するケースが多い。
もちろん「古巣」への想いがこのような形での騎乗を実現させているのだろう。

そんな内田博幸騎手の姿を喜ぶファンはたくさんいる。
だが一部ではあるが
「この人はもうJRAの騎手だから」
と冷ややかな見方をするファンも実在する。
そのような見方を「悪い」と批判するつもりはない。
「所属を変える」という出来事と
このような感情的な問題はどうしてもセットとなってしまうのだから。

JRAに移籍後の安藤勝己騎手も
「JRA所属騎手」として笠松競馬場で騎乗する機会が何度かあった。
だがその機会は内田博幸騎手ほどは多くはない。
笠松で行われるダートグレードレースがなくなってしまったことも理由の一つだろう。
その笠松競馬場に登場した際も
服色は笠松時代の「胴青、白山形一本輪、袖黄」ではなく、馬主服だった。
もちろんルールなのだから全く問題はない。
だが内田博幸騎手と違い、
「古巣」との間に距離が出来てしまった印象を受けるのは私だけだろうか。
だからこそ「笠松競馬場での引退式」があるのか?
実現しても、ファンがその引退式を受け入れるのか?
どうしても気になってしまう。
内田騎手のケースでも感情的な何かを感じてしまう人がいるというのに・・・。

その安藤勝己騎手がJRAに移籍する際、
中央と地方の「ダブル免許制度」が議論となったことがあった。
当時、武豊騎手が競馬雑誌のインタビューで
「ダブル免許制度が実現したら、平日は大井で騎乗したい」
などとコメントしていた記憶もある。
しかし安藤勝己騎手自身がこの「ダブル免許」を望まなかったこと、
また地方競馬間でも
騎乗できるエリアに制限があるなどの矛盾が指摘されたこともあって、
この議論は自然消滅ということになってしまった。

多くの人が安藤勝己騎手を
「地方競馬からJRAに移籍したパイオニア的存在」と評価する。
私もその評価には同感だ。
だがその安藤勝己騎手の存在を競馬界の「改革」に結びつけることが出来ないまま、
10年の月日が流れてしまった印象がある。

もちろん安藤勝己騎手が悪い訳ではないし、
誰かにその責任を押し付けることは出来ない。
しかしその安藤勝己騎手のケースをきっかけに、
競馬関係者やファンの「所属」に対する考え方を変えることが
出来なかったことだけは事実だろう。

もし笠松競馬場で安藤勝己騎手の引退式が実現しないのだとすれば、
「この10年間、日本の競馬は何も変わらなかった」ということなのかもしれない。
もちろん「変わらなかった」ということを肯定する人もいるのだから、
これ以上は何も言えないのだが。
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今年のジャパンカップも2年前と同様に「裁決問題」がクローズアップされる結果となった。
「裁決問題」というものはどうしても後々まで尾を引いてしまうものである。

池添謙一騎手をはじめとするオルフェーヴル陣営によるレース後のコメントに対して、
批判的な見解がネット上で語られている。
彼を擁護するつもりはない。
だが競馬界における「政治的視点」で考えると、
あのコメントは関係者向けのアピールであったに違いない。
「あの不利がなければ勝っていたのは自分だ」と主張するのは
「次」も池添騎手が手綱を取り、
栗東・池江泰寿厩舎が調教を担当する上で、
必要だったということなのだろう。

このレースではレッドカドーのジェラルド・モッセ騎手も
フェノーメノとトーセンジョーダンの進路の取り方について走行妨害を主張し、
申し立てを行なっている。
パトロールビデオを見る限り、
モッセ騎手の申し立ても着順が変更になるレベルとは思えない。
だがモッセ騎手としては自らが不利を受け、
「本当はもっと上の着順を手にすることが出来た筈だ」と主張しなければ、
彼も「次」がなかったのかもしれない。
その意味でこの申し立ては池添騎手のコメントと同様だろう。
ファンに対する印象は良くない。
言葉は悪いが「負け惜しみ」「言い訳」だと受け止める人もいるだろう。
だがそんな主張をしなければ、
競馬社会で「騎手」として生きていくのが難しいのかもしれない。
難しい時代になったものだ。

パトロールビデオを何度も見た。
YouTubeにアップされていた、レースを上空から見た映像も見た。
ジェンティルドンナの岩田康誠騎手にとって、
自分が勝つ為にはあの選択肢しかなかっただろう。
ビートブラックがまだ逃げ粘っていた時、
外にはオルフェーヴルという「壁」が出来ていた。
馬の癖なのか、
オルフェーヴルはジェンティルドンナに対して幅寄せしているようにも見える。
そのオルフェーヴルを先に行かせ、
自分はビートブラックを交わしてから追い込んでいたのでは手遅れだ。
オルフェーヴルに体当たりしてでも自分のスペースを確保するしか術はない。
岩田騎手としては騎乗停止処分も覚悟した上での判断だったのかもしれない。

もしこのレースがG1ではなかったら、
岩田騎手は同じ判断をしただろうか。
条件クラスの競馬で「騎乗停止も覚悟」という乗り方をしただろうか。
このレースがG1、しかも国内最高峰のジャパンカップだったからこその
判断だったということではないのか?
来年からのルール変更で、
「降着なし、騎手は騎乗停止」というケースが増えることが予想される。
ということは今回の岩田騎手のような判断をする騎手が
G1レースの度に出現する可能性もあるということなのかもしれない。

池添謙一騎手、ジェラルド・モッセ騎手、そして岩田康誠騎手。
今回のジャパンカップにおいてこの3人の騎手は
結果的にこんな事を教えてくれたのかもしれない。

-日本の競馬は変わってしまった-

いや「変わってしまった」などと、
ネガティブに受け止めるべきではないのかもしれない。
もしかすると海外は以前からそんな傾向であり、
日本の競馬もようやく「世界標準」になったという見方もあるのだろうし。
でもその変化は果たして肯定的に受け止めるべきものなのだろうか?
そんな疑問に対し、私はまだ「YES」とも「NO」とも言えずにいるのだけれど。


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3コーナーから坂を下り、
ロンシャン競馬場名物・フォルスストレート入り口付近までの区間、
アヴェンティーノの馬上からオルフェーヴルの位置を確認する
アンソニー・クラストゥス騎手の姿に気がついた人は多かっただろう。
彼はその手前でも何度も後ろを振り向いて、
オルフェーヴルの位置取りを確認していた。
そしてフォルスストレートに入ったところで
「自分の仕事はここまで」とばかりに馬群から離れるように外に膨らみ、
オルフェーヴルを先に行かせる。

日本でこんな騎乗をすれば、
間違いなく制裁の対象となるだろう。
だがここはフランスだ。
そんな「連携プレー」もOKなのだ。
アヴェンティーノの存在は、
オルフェーヴル陣営が日本・フランス間の競馬における相違点を
意識した準備をしていた事を象徴している。

凱旋門賞というレースはこれまでも
数多くの日本調教馬・日本人ホースマン達が挑戦し、
「世界の壁」に跳ね返される結果を繰り返してきた。
オルフェーヴル陣営はこれまでの日本調教馬陣営以上に
入念な準備をした上で凱旋門賞に挑んでいたに違いない。
アヴェンティーノという帯同馬に
日本でも経験のない「連携プレー」の役割を要求し、
オルフェーヴルの鞍上をデビュー戦から手綱を取り続けた池添謙一騎手から
ロンシャンのコースと凱旋門賞というレースを知り尽くした
クリストフ・スミヨン騎手に変更する。
これまでの挑戦では行われていなかった試みが
他にも色々あったに違いない。

しかし結果は2着。
ここまで準備しても勝てないとは・・・。
勝つための手順をこんなに踏んでも「世界の壁」を乗り越えることが出来ないとは・・・。

レースを見ていて、思わず涙が出そうになった。
でも現地で戦ったスタッフの方々は我々以上に悔しかったに違いない。
これ以上、何を準備しなければならないのだろう?
そんな想いを抱いた人もいるのかもしれない。

だが競馬はまだ続く。
凱旋門賞は来年も行われる。
新たに挑戦する日本調教馬・日本人ホースマンも現れることだろう。
我々はその挑戦を見守り続けることしか出来ないが、
見守り続けることがきっとその挑戦を後押しすることになるに違いない。

その日はきっとやってくる。
日本調教馬が凱旋門賞を勝つ日は必ずやってくる。
そう信じて、競馬を見守り続けたいと思う。

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2~3年前まで実際にあった話である。
札幌記念の頃に「札幌競馬場に行った」とか、
「現地で札幌記念を観戦する予定」などと書くと、
色々な方からこんなお誘いを頂いたものだった。

「札幌記念だけではなくて、
札幌2歳Sの頃にも札幌に来るといいよ。
飛行機もホテルもかなり安くなっているし」

当時の札幌2歳SはスプリンターズSの前日である。
つまり9月末、または10月の初めということになる。
「夏の北海道シリーズ」と言いつつ、
既に「夏」とは呼べない時期である。
さすがにこの土日が最終週ではあったのだが。

夏の新潟競馬、小倉競馬が終わり、
中央競馬の開催が中山・阪神に切り替わると、
競馬の暦も「秋」に変わる。
だが競馬場のターフビジョンや場内テレビを見れば、
札幌競馬場でのレースも放映されている。
そんな光景が何故か好きだった。
大好きな「夏競馬」の名残が「札幌競馬場からの映像」として残っている。
季節の変わり目とはいえ、連続性はあるのだから、
急に「先週までが夏で、今週からは秋」と区切ってしまう必要はない。
どこかに名残を残しつつ、少しずつ「秋競馬」になればいい。
最終週のスプリンターズSがやって来れば、
頭の中は完全に「秋のG1シーズン」になって、「夏」の事など忘れるのだし。

札幌競馬場のスタンド改修工事という事情もあるのかもしれない。
でも新潟や小倉と一緒に札幌まで開催を終わらせて、
「秋」に切り替えなくてもいいのに・・・。
中山競馬場内に札幌のファンファーレが響き渡るくらいが
「秋」の始まりにはちょうどいい感じなのに・・・。

次に札幌競馬場で競馬開催が行われるのは2年後。
再び馬が走るようになっても、
札幌競馬の開催は9月の第1週で終わってしまうのだろうか?
単なる「雰囲気」の問題だから、
「間違っている」と強く主張するつもりはない。
安易に「違和感」などと言ってしまうのは無責任かもしれない。
売上や経費など、JRAの経営と関連する部分もあるのだし。
何となく「寂しい」というだけのことである。
10年後、20年後の日本に「競馬」が存在し続ける為には、
我慢しなければならないこともたくさんあるのだろうし。

でもその「寂しい」という感覚には、
喪失感に似た何かが加わっているようにも思えてならない。
果たして2年後の札幌競馬は
どんな日程で開催されているのだろうか?
今から気になってしまうのである。

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今、競馬場にいると仮定する。
いつものように馬券を買い、
その馬券を握り締めながらレースを見ている。

ゴールの瞬間、
その手にしていた馬券は外れてしまったことが明らかになる。
買った馬券は馬連・馬単ならば「1着-3着」。
3連複・3連単なら「1着-2着-4着」。
そんなハズレ方が多くないだろうか?
私だけかもしれないけど(笑)。

そんな感じで「負け」が判明してしまったゴールの瞬間、
私はつい見てしまう場所がある。
それは着順表示板。
青ランプと共に上の方に表示される「審議」(あるいは「審」)の文字を見ると
嬉しい気分になったりしないだろうか。

もしかするとこの馬券、まだ「ハズレ」が決まった訳ではないのでは・・・。
2着に入った馬はどこかで走行妨害を犯しているのでは・・・。
降着があるかもしれないぞ・・・。

審議のアナウンスに耳を傾ける。
不利を受けた可能性のある馬の名前と馬番を確認する。
大型ビジョンか近くのモニターテレビでVTRを見る。
パトロールビデオではないから正確なことはわからないが、
それでも問題の場面で不利を受けた馬の横を
買っていなかった2着馬が通り抜けたりなんかした時は、
それだけで「もしかして」という期待は大きくなる。

その期待は多くの場合、
「失格馬及び降着馬はありません」のアナウンスと共に失望に変わるのだが・・・(笑)。
でも私のように予想も馬券も当たらない人間にとって、
ゴールの瞬間に点灯される「審議」の「青ランプ」は
「希望への一筋の光」に思えてくることがある。
レースが終わっても「もしかして・・・」の期待を持つことが出来るのは
何となく嬉しい。

一部の報道によると、
JRAがまた失格・降着の基準を見直すらしい。
その報道によると、
これまでよりも着順が変更になるケースが減ってしまうのだとか。
減らす必要なんかないのに・・・。
「失格・降着」が多いことが問題なのではなくて、
的確なジャッジが行われていない可能性があることが問題なのに・・・。

レースが終わっても
「もしかすると降着があって、この馬券は当たり馬券に変わるかも・・・」
という期待を持って、
確定の赤ランプを待つことが出来るというのは、
予想下手・馬券下手な人間にとって楽しいことなのだ。
JRAはそんな楽しみまでも奪ってしまうのか・・・。

「希望への一筋の光」である「青ランプ」。
その光が微かなモノになってしまうのか・・・。
JRA様。
どうか、馬券下手・予想下手の夢を壊さないで頂きたい!!
もちろん、身勝手な希望であることは百も承知なのだけど(笑)。

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先日、テレビで「クールシェア」という取り組みが行われている
自治体の様子が取り上げられていた。

原発事故以来、様々な場所で「節電」の重要性が語られている。
エアコンを使用する夏場は
その「節電」を考える上では難しい季節だ。
熱中症の危険性もある季節だけに、
「節電」が必要だからと言って、
全くエアコンを使わないという訳にはいかない。

そこで考えられたのは各家庭のエアコンは使用せずに、
エアコンの効いた公共施設に多くの人が集まって暑い昼間を過ごすことで、
地域全体での電力使用量を減らそうという取り組みがある。
この取り組みを「クールシェア」と呼ぶのだそうだ。
夏休みで子供たちが集まりやすい図書館や博物館では、
その子供たちを意識したイベントも色々企画されているという。

そのテレビ番組では広島県の取り組みが紹介されていた。
県内の博物館に多くの親子連れが集まっている様子が放映されている。
そうか、自宅のエアコンを使わずに、
公共機関で涼しく過ごすのもひとつの手だよなあ。
子供なら博物館や図書館だけど、
大人だったら競馬場もありだよなあ。
競馬主催者も「競馬場に集まって、クールシェアに参加しませんか?」
みたいな呼びかけをやればいいのに・・・、と思いながらその番組を見ていた。

そんな事を考えていたらその夜、
ある競馬主催者の公式サイトで「クールシェア」という単語を見つけてしまったのである。
福山競馬の公式サイトである。

 
福山競馬場でクールシェア(福山競馬公式サイト)


テレビで事例を見たのは広島県。
同じ広島県内にある福山競馬場というのは単なる偶然なのか?
それとも県全体での活発な取り組みの現れなのか?
いずれにしてもこの「クールシェア」の動きを競馬場への集客に繋げようという取り組みは、
馬券の売り上げという面から考えてもいいことではないだろうか。

そう言えばPAT会員になり、
自宅で馬券を買うことが出来るようになってから、
JRAのウインズなど「場外発売所」というところに行かなくなった。
特にJRAの開催が首都圏から離れてしまう夏場は、
以前なら都内のウインズや場外発売中の東京競馬場で土日を過ごすことが多かったのだが、
最近はこうした場所に行かなくなった。
静かで来場者が少なく、芝生で甲羅干しをしている人の姿も見られるなど、
牧歌的な雰囲気が漂う東京競馬場がお気に入りだった時期もあったのだが・・・。

かつてJRAが東京・中山両競馬場と首都圏のウインズを対象に、
夏競馬期間中における「スタンプラリー」を企画したことがあった。
今は経費節減でこうした企画を実施するのは難しいのかもしれない。
でも「ウインズでクールシェアに協力しましょう」といった呼びかけぐらいは出来るのでは?
社会貢献にも繋がるのだし、
この時期の場外発売に人を集めることが出来れば、
売上アップを期待することも可能だし。

「府中焼け」という言葉をご存知だろうか?
夏競馬期間中に東京競馬場の内馬場で甲羅干しをした結果、
日焼けした様子を差して出来た言葉である。
今でも内馬場の馬券売り場には上半身裸のまま、
発券機にマークカードを突っ込んで馬券を買っている「府中焼け」した男性客はいるのだろうか?
そんな競馬ライフも「節電」が叫ばれる今の時代なら、
「クールシェア」を実践している人として称賛に値するのかもしれない(笑)。
私も次の週末、久しぶりに府中に行ってみようかな?

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いくつかの競技で「誤審騒動」があったロンドンオリンピック。
その一方でプレイヤーが判定を不服として、
即座に「ビデオ判定」を要求出来る競技も増えていることを
今回のオリンピックで知った。
私は学生時代にホッケー部に在籍し、
関東学生リーグ(下部だが)でもプレーしていたが、
そのホッケーでも「ビデオ判定」を要求することが可能なルールが
いつの間にか出来ていた。
女子の試合でその「ビデオ判定」のシーンを見ながら、
「自分たちがプレーしていた頃は、
判定に何かを言えばすぐにカードを突き出されていたのに・・・」と思ったりして。

競技の多くはこの「ビデオ判定」を要求することを「チャレンジ」と呼ぶ。
そしてこの「チャレンジ」を要求できる回数が決まっている。
チャレンジの結果、判定が覆った場合は、
その権利は引き続きプレイヤー側に残り、
覆らなかった場合は消滅する。
つまり、この「チャレンジ」は競技における勝敗を決する上で、
その競技における要素の一つとなっているのだ。

競馬の世界において、
この「チャレンジ」に似た光景として思い出すのは
2002年のジャパンカップ。
ファルブラヴとサラファンの外国馬2頭が並んでゴールし、
写真判定の結果、ハナ差でファルブラヴに軍配が上がると、
今度はサラファン陣営がゴール板手前におけるファルブラヴの走行妨害をアピールした為に、
審議の青ランプが・・・。

後で公開されたパトロールビデオを見る限りは双方が馬体を寄せ合う形となっていて、
ファルブラヴが走行妨害をしたようには思えなかったのだが、
馬主や調教師、騎手のアピールによって審議に持ち込むルールがある以上、
そのルールを利用して「最後の可能性」に賭けたサラファン陣営に
「勝負への執念」を感じたことを覚えている。

ジャパンカップのようなG1レースだけではなく、
普段の競馬でもそんな「チャレンジ」がもっとあっていい筈なのに・・・、と思うことがある。
レース後に敗れた騎手が「前をカットされて・・・」などというコメントを聞くと、
「だったらチャレンジしろよ」という気分にもなる。
競馬施行規則の第52条ではこう定められている。

(走行妨害の申立て)
第52条 競走に出走した馬の馬主、調教師、騎手その他の施行規程で定める者は、
施行規程で定めるところにより、
その競走において当該馬が第49条第2項各号のいずれかに該当する
走行の妨害を受けた旨の異議の申立てを、
前条第3項の規定による着順の確定前に限り、行うことができる。

2 裁決委員は、前項の申立てがあったときは、これを裁決し、
その結果を申立てを行った者に通知する。 


「前をカットされた」が言い訳のように思われるよりも、
「チャレンジ」してくれた方が見ていてスッキリとするのだが。
見ている方も馬券を買って「勝負」しているのだし。
でも中には逆に「言い訳」として「チャレンジ」する騎手なども出てきたりするのだろうか。
だったら1日に「チャレンジ」出来る回数を決めるとか。

でも6月の東京競馬で起きた
美浦・小島茂之調教師の不服申立ての件を見る限り、
裁決が覆る可能性が低い競馬においては
「チャレンジ」そのものが無意味なのかもしれない。
「審判の権威」は大切だけど、
「ミスジャッジの可能性」「ジャッジの正確さ」を求めるという要素が、
競技の一部としてルール化されるのも面白いと思うのだが、
どうなのだろうか?

プロフィール

菅野一郎
(かんのいちろう・本名同じ)
「もっと競馬をやりたいな」で、
「第1回Gallopエッセー大賞(2005年)」において、
佳作を受賞。
現在、競馬読み物Webサイト
「WEEKEND DREAM」管理人を務める。
時には厳しく、時には温かく愛情を込めて、「競馬の未来」を語ります。

※「プロフィール詳細・経歴」もご覧ください


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