(重賞回顧)1997年第2回ドバイワールドカップ~優勝馬:シングスピール~
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このレースが終わって何日か経ったある日の事だった。
当時勤めていた会社の同僚から声をかけられた。
「ホクトベガって、ドバイに行ったんだよね?
結果はどうだったの?」
その同僚はあの悲劇を知らない様子だった。
当時は今ほどインターネットは普及していない。
あの出来事を報じるスポーツ紙を見逃してしまったとしたら、
週末の中央競馬中継番組を見るまでは
その結果を知ることは出来ない可能性が高い。
だからそんな事を私に聞くのも仕方がなかったのだろう。
私はその時点でレース結果については知っていたが、
その同僚への答えに詰まってしまったことを覚えている。
レースの映像を見たのは
週末の中山競馬場だったと記憶している。
前の馬と接触して転倒するホクトベガ、
そして更に後続の馬も巻き込まれる様子を目の当たりにする。
思えば府中、川崎、高崎、船橋、大井、浦和、盛岡など、
日本にあるどの競馬場のダートコースでも
スピードの違いもあって途中からハナに立っていたホクトベガが、
馬群の後方からレースを進めている時点で異常だった。
日本にいる時と同じような競馬をしていれば、
「前の馬に接触する」ということは考えにくい光景だったのだから。
「何故前に行かなかったのか?」
「いや行けなかったのかもしれない。」
色々な事を考えた。
これが「日本馬が海外で戦う」という事なのかもしれない。
その厳しさを日本のファンは思い知らされることになったということか。
勝ち馬が前年のジャパンカップ優勝馬シングスピールだったということも
その現実を更に衝撃的なものにしていたように思えた。
芝コースでも世界の頂点に立つスピードがなければダメなのか・・・。
でもこんな形で教えてくれなくてもいいではないか。
ホクトベガが国内のダート戦線で圧倒的な内容で勝ちまくる姿を何度も見てきただけに、
その喪失感を感じずにはいられなかった。
もちろん関係者の喪失感は
私や多くの競馬ファンとは比較にはならないものだったのだろうから、
あまり感傷的なことを書くのは無責任なのだろうけど。
今年もドバイワールドカップデーがやってくる。
2001年にステイゴールドがドバイシーマクラシックを勝った時は
高松宮記念当日の中京競馬場でその映像が流れる度に、
場内から拍手が湧き上がったことを覚えている。
そして昨年2011年のドバイワールドカップでは
ヴィクトワールピサとトランセンドによる日本馬ワン・ツーに、
震災直後で心が沈んでいた日本の競馬ファンの多くが涙を流した。
ドバイワールドカップデーは
日本のトップホース達が毎年様々なドラマを見せてくれる舞台でもある。
でも同時に、いやだからこそ忘れることが出来ないのだ。
ドバイに散ったダートの名牝・ホクトベガの存在を。
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