(重賞回顧)2011年第71回皐月賞~優勝馬:オルフェーヴル~
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率直に言って「G1」という雰囲気ではなかったように思う。いや、そんな雰囲気を望むことさえ許されなかったというべきか。
当然の事なのだ。
こうして「競馬」が目の前で行われることそのものを
喜ばなければならないのだから。
東京競馬場で皐月賞がおこなわれるのは、
ヤエノムテキが勝った1988年以来のことである。
同じ皐月賞でも、
府中と例年の中山とでは雰囲気が違う。
でもそんな事を指摘してはいけない。
東日本大震災以降、関東地区ではしばらくの間、
「競馬再開」さえ考えることが出来ない状態だったのだから。
スタンド内の照明も一部が消えていて、
普段よりもやや暗い印象を受けた。
そして開門直後のターフビジョンには
「節電のため、1Rのパドック開始時刻までは放映しません」との表示がある。
再開されたと言っても、
世間一般の状況に配慮しながらの「競馬再開」だった。
それでも私も周囲の人達も皆、再開された競馬に歓声を挙げ、
馬券に一喜一憂する。
少し前までは考えることが出来ない光景だった。
その府中での皐月賞を制したのはオルフェーヴル。
後の3冠馬もこの時は単勝オッズ10.8倍で4番人気という低評価だった。
何故当時、多くのファンはこの馬を評価しなかったのか?
前年2010年の京王杯2歳Sで10着と大敗していたこと、
そして全兄のドリームジャーニーもこの左回りの府中で大敗していたこと、
きっと低評価の理由はそんな所だったのかもしれない。
「例年通り、中山で皐月賞をやっていたら買うのだけど」
そんな声も耳にした。
しかしオルフェーヴルはそんな「府中は不向き」という評判をあっさりと覆した。
1番人気に支持されたサダムパテックに3馬身差をつける快勝を演じた。
オルフェーヴル自身は左回りの府中への苦手意識など、
初めからなかったのかもしれない。
でも「中山」「東京」「右回り」「左回り」といったキーワードにこだわっていた私には、
そんなこだわりをオルフェーヴルに笑われているような気持ちになった。
そして、
「色々な事があった後なのだから、
中山で出来ないことをウジウジ言っても仕方が無いだろう。
与えられた環境で全力を尽くすしかないのだよ。」
とオルフェーヴルに怒られているような錯覚に陥った。
そんな感覚を味わったのは
もしかすると私だけではないのかもしれない。
オルフェーヴルはその後、
ダービー、菊花賞を制して3冠馬となり、
年末の有馬記念でも古馬を相手に勝利し、
日本競馬界のナンバーワンの座を獲得。
その強さに多くのファンが酔いしれた。
だが、私がこれまで見た「3冠馬」のナリタブライアンやディープインパクトの
皐月賞優勝時とは少し違う感覚が、
当時のオルフェーヴルの記憶として残っている。
きっと例年とは違う状況下での皐月賞だったからなのだろう。
2011年4月24日(日)
東京11R
第71回皐月賞(G1)
東京・芝2000メートル
1着6枠12番オルフェーヴル(57・池添謙一) 2分0秒6
2着2枠 4番サダムパテック(57・岩田康誠) 3
3着1枠 2番ダノンバラード(57・武豊) 1 1/4
4着7枠15番デボネア(57・佐藤哲三) 3/4
5着3枠 5番ナカヤマナイト(57・柴田善臣) 1/2
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