[日記]佐々木主浩投手、ではなく(笑)、佐々木主浩オーナーの話
まずは、ジャパンカップ当日に撮影した2枚の写真を御覧ください。
佐々木主浩オーナーはデカいから目立ちますね(笑)。私が同オーナーのお姿を初めて見たのは、約30年前のことになります。当時は高校生でした。
佐々木オーナーは、私・菅野と同じ宮城県仙台市の出身です。学年は佐々木オーナーの方が1年上ですね。もちろん、面識はありません(笑)。佐々木オーナーは横浜ベイスターズやシアトル・マリナーズで主にリリーフエースとして活躍した、元プロ野球選手であることをご存知の方は多いと思います。甲子園の常連校として知られる東北高校の出身で、東北高校から東北福祉大学を経て、ドラフト1位で1990年に横浜大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)に入団。入団後の佐々木オーナーについては、私より詳しい方が多いと思います。「ハマの大魔神」と呼ばれた大投手でした。
高校生の頃、夏の宮城県予選で私が通っていた仙台二高の試合を観に、宮城球場(現Koboパーク宮城)に行った時のことでした。仙台二高の試合はその日の第4試合で、その前の第3試合が東北高校の試合でした。少し早めに宮城球場に到着してしまった私は、東北高校が出場していた第3試合も途中から見ていたのですが、その第3試合で投げていたのが、あの佐々木オーナーだったのです。
プロに入ってからの「佐々木主浩投手」と言えば、フォークボールを武器に三振の山を築くリリーフエース、というイメージが強いと思います。しかし、当時の佐々木オーナーは、まだフォークボールは投げていなかった、と記憶しています。その代わり、ストレートは物凄く速かったですよ。甲子園常連校のエースピッチャーに「ストレートが速かった」というのも失礼な話ですが(笑)、当時は豪速球投手というイメージでした。体も当時からデカかったですし、「甲子園に行くような高校のエースって、こういう人じゃなきゃダメなのだろうな」とか、そんなことを考えながら、佐々木オーナーのピッチングを見ていたことを覚えています。
その「佐々木主浩投手」のお姿を、こうして競馬場で普通にお見かけするようになるとは・・・(笑)。まあ、オッサンになった自分が、普通に競馬場にいること自体、高校生だった頃の自分には考えられなかったけど(笑)。でも、かつて宮城球場で見た豪速球投手が、今ではG1馬のオーナーか・・・(笑)。
競馬場で普通にお見かけする有名人の方ですが、私はそのお姿を拝見する度に、あの宮城球場で投げていた佐々木オーナーの姿を思い出してしまい、不思議な気分になるのです(笑)。