[日記]競馬があったからこそ、私はまだ生きているのです

自宅アパートにおります。

昨日、例の外出先で空き時間に日記を書いた後、仕事に戻りながら、ふと考えたことがあります。

私は大学を出て、ある広告代理店に入社したのですが、私が配属となったのは、広告とは無関係な、看板施工に関係する部署でした。ゼネコンの下請けで、朝8時に工事現場に行って、ラジオ体操・・・、などということをやっていました。

広告代理店に入ったのに、広告の仕事ができない・・・。それだけではなく、どうしてオレはこんなところでラジオ体操なんかやってるんだろう・・・。そんな毎日でしたから、仕事が苦痛で仕方がありませんでした。

でも週末になれば、競馬があります。競馬があるから、苦痛に耐えることができたのだと思っています。「サラリーマンにとって、給料とは我慢料」という話がありますが、競馬がなかったら、どれだけお金をもらったとしても、果たして毎日、我慢できたか、どうか、今振り返っても全く自信はありません。

今、サラリーマンをやっている人で、同様の日々を過ごしながら、週末になると競馬場やウインズに足を運んでいる、あるいはグリーンチャンネルなどを観ている、という人も、結構多いのではないでしょうか。

今、私は社会の貧困層に属する1人として、日々を過ごしています。そして、まとまったお金が入ってくると、競馬場に行きます。先日、Twitterで「金が入ってくると、すぐに競馬に注ぎ込んでしまうのか、この男は。馬鹿じゃないの?」と言われました。こうして、「競馬場に行く」という楽しみがあるから、日々の貧困にも耐えられるのです。ちなみに今日も朝から何も食べていません。お金がないからです。でも我慢できるのは、「お金が入ってきて、競馬場に行くことができる日」がやってくることがわかっているから、我慢できるのです。

こういう状況を「ギャンブル依存症だ」と言いたければ言えばいいでしょう。でも今、この国から競馬がなくなったら、あるいは競馬場に行ったり、馬券を買ったりする楽しみを誰かに奪われたら、私は恐らく、日々の苦痛に耐えることはできません。恐らく、既にこの世にいないでしょう。もし、これからそんな状況が訪れた時は、「自ら命を断つ」という選択肢も検討しなければならないかな、と思っています。

だから、この国にカジノができるからと言って、カジノ以外のギャンブルにまで、「ギャンブル依存症対策」とやらで、アレコレと制限が加えられる状況は納得できないのです。コレがあるから、様々な困難・苦痛に耐えられる、という人は私だけではない筈です。どうして、そんな楽しみを奪われなければならないのでしょうか?

私はその視点からも、カジノ推進派が「えーカッコしー」をしながら「ギャンブル依存症」を叫ぶ状況と、徹底的に戦わなければならないと思います。彼らは競馬好きの敵なのです。どうして、彼らの商売の為に、自らの命を断たなければならないのでしょうか。しかも、後になって「引ける要件」「引けない要件」などと言い出す、いい加減な「えーカッコしー」の為に・・・。

徹底的に戦うよ、オレ!!

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