[日記]賢くて、闘争心が強くて、そして個性的な馬、それがテイエムオペラオーだった、と勝手に思っています
私がこの「WEEKEND DREAM」をスタートさせたのが2000年。テイエムオペラオーは、この2000年のJRA賞で年度代表馬に選出されています。そのテイエムオペラオーが17日(木)に心臓麻痺の為、北海道新冠郡の白馬牧場で死亡した、という報道がありました。
強い馬でした。そして、同時に賢い馬でした。この「賢い馬」というのが、テイエムオペラオーに対して私が抱いていた印象です。レース映像を見ることができる方は、2000年の有馬記念と2001年の天皇賞・春の映像をご覧ください。
2000年の有馬記念ですが、きっとあのレースで和田竜二騎手はミスを犯していたように私には思えました(本人には申し訳ないですが)。4コーナーであのポジションになってしまったのは、乗り役のミスと言っていいでしょう。しかし、馬の方がそのミスをカバーして勝ってしまった、と私は今でも思っています。当時、中山競馬場で見ていて、あの勝ち方には驚かされました。馬自身が勝つ方法を知っているというか・・・。もちろん、地力もあったのでしょうけど、地力だけではあの位置から差し切り勝ちを決めることは難しかったのではないでしょうか。
もっとわかりやすいレースだったのが、翌2001年の天皇賞・春でした。3コーナーを過ぎたところで和田竜二騎手が激しく手を動かし、ゴーサインを出しているのですが、テイエムオペラオーはスパートを開始しません。そしてその後、自分のタイミングで勝手に動き出し、差し切り勝ちを決めてしまったように、私には見えました。鞍上に「お前は黙って乗ってなさい」と言っているかのような・・・。
クレバーに見えて、一方ではとても闘争心の強い馬だったのかもしれません。だから、自分の意思と判断で勝ちに行こう、というレースを続けていたのでしょう。5着に敗れた2001年の有馬記念を最後に引退。某スポーツ紙で、有馬記念で敗れた後、馬房で悔し泣きをしていた、という話が報じられていたことを覚えています。そして、翌2002年1月に、メイショウドトウと共に京都競馬場で行われた引退式では、テイエムオペラオーは全く自ら走ろうとはしませんでした。燃え尽きていたのでは・・・、と中山競馬場のターフビジョンでその映像を見ながら、勝手にそんなことを考えていました。
以上は、全て私の妄想です。本当はどうだったのかは、いずれ様々な形で語られることでしょう。ただ「こんな馬、初めて見た」というレースぶりが、結果や記録以上に強く印象に残る馬でした。そしてテイエムオペラオー以降、似たようなレースをする馬を私は見た記憶がありません。いい意味で個性的だったというか、何というか・・・。
以上、私自身の勝手なテイエムオペラオー評ということで。
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