[日記]「また岩手日報か」とは思いつつ・・・

自宅アパートにおります。世間一般には明日14日(土)から3連休という人も多いのだろうと思いますが、私は明日から6日間連続で例の外出先に行かなければならないという・・・(笑)。そんな「世間一般」と「自分」との違いというものを頭に入れておかなければ・・・、という話をひとつ。

Twitterを中心に「iちゃんねる騒動」というものが話題となっているそうです。どうやら、きっかけはこの岩手日報の記事らしいです。

収支見通し上方修正 県競馬運営協(岩手日報)

なんだ、この程度の話か?グリーンチャンネルの契約者数だとか、インターネットの売り上げや東京競馬場の岩手場外発売所の売り上げだとかを示せば、十分に費用対効果は説明できるんじゃないの?そんなに大騒ぎをするほどの話ではないように思えます。

こういう場所で取り上げられることについての感情論はあるでしょう。私もこの「iちゃんねる」という番組、そして岩手競馬に関しては様々な感情論がありますが、それはTwitterにリツイートした2つのツイートを見て頂くということで。ひとつは岩手競馬でも多数の出走歴があるオーナーさんのご意見です。そして、もうひとつは私自身の「感情論」に最も近いツイートかな?地方競馬全体を取り巻いている「イエスマンしか存在することが許されない空気」が流れる象徴みたいな競馬場ですからね、盛岡競馬場と水沢競馬場は。「感情論」ですので、また別の機会に書きますが。

ここでは別の話をひとつ。この記事を見て率直に思ったのは、「また岩手日報か」ということです。2003年から2004年にかけて起きた「岩手競馬のあり方懇談会」をきっかけに、「存廃問題」という話が浮上した岩手競馬ですが、その廃止論の中心に常に存在していたのが岩手日報という新聞社でした。偏向している記事から、競馬好きならすぐにわかるような事実に反する記事まで、競馬関係者やファンの怒りを買い続けている新聞社です。2003年以降から続く存廃問題の歴史を語る上で、この岩手日報という新聞社の存在を無視することはできません。

今回の記事も、どうしてわざわざこんな取り上げ方をするのか、不可解な印象を受けます。いや、今回に限らず、かつての「あり懇」の頃から「どうしてここまで・・・?」という想いを持って見ている人は少なくないでしょう。一方で、地元紙ですから、岩手県内の世論形成に一定以上の影響力があることは確かで、岩手県知事選挙で「岩手競馬の存廃」が争点となったこともあります。

岩手競馬と岩手日報、この両者に何があったのでしょうか?何の問題もなく、地元紙の論調がこんな感じになることは考えにくいのですが・・・。というか、地元の新聞社ですから、地元の「競馬を知らない人」の声も踏まえた記事作りをしなければならない訳で、その「競馬を知らない人」も含めた声の中に、何か問題が隠されているような気がするのですけどね。

私も、以前は岩手日報の姿勢をボロクソに批判していたことがあります。今回の岩手日報の記事についても、ある種の悪意のようなものを感じずにはいられません。しかし、今は全国の地方競馬、特に岩手競馬に感じられる「イエスマンしか存在することが許されない空気」の外側で起こっていることに、その空気の中にいる人達(競馬関係者、メディア関係者だけではなく、一部のファンも含みます)が気が付かなくなっている時だけに、注意して見ておくべき記事ではないでしょうか。私は今回の記事をボロクソに批判する気にはなれません。

東北人は熱しにくくて、冷めやすくて、去る時は何も言い残さずに距離を置きます。自分たちの空気の外側にある「別の空気」を冷静に感じるべき時が来ているようにも思えるのですが。以上が岩手日報の記事から、私が抱いた感想です。

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