[日記]これではカジノに出入りする人たちは後ろめたさを抱きながら遊ぶことになってしまいます、楽しい場所の筈なのに・・・
久しぶりに、例の外出先には行かない1日となっております。自宅アパート近くのコーヒーショップでこの日記を書いています。自宅アパートからここまで歩いて10分ぐらいなのですが、このところのニュースに登場するキーワード「危険な暑さ」を実感しております。ぶっ倒れそうになりながら、この店に到着しました。自宅アパートにいればよかった・・・。この暑さの中でスポーツとか、絶対にやってはダメですね。とりあえず、エアコンの効いた店内でアイスコーヒーを飲みながら、クールダウンしつつ、PCのキーを叩いています。
このところ、中身のない日記が毎日続いていますが、気になっていることがあります。この話をどう書いたらいいのか、密かに悩んでおりました。気合を入れて書くと、あまりにも長い話になってしまいそうで・・・。
その話とは、例の「IR実施法案」です。実質的には「カジノ法案」なのですが、某所で「カジノ法案」という表記に対して「IR実施法案と言え」みたいな難癖をつけているのを見かけました。カジノ抜きでは全く意味をなさないクセに・・・(笑)。
このカジノに関する話は、ギャンブル依存症の話も含めて、この日記でも散々書きました。同じ話を繰り返しても仕方がないので、少し違う角度からこの話を書いてみます。
このサイトをご覧の方は、多くが競馬好きだと思います。皆さんが競馬場で1日を過ごしたり、あるいは馬券を買ったりする時、後ろめたさのようなモノを感じることはあるでしょうか?恐らく、全くない筈です。むしろ、楽しい時間を過ごすことができた、と考えていることでしょう。それは競馬に限らず、競輪でも、競艇でも、オートレースでも同じでしょう。厳密には公営ギャンブルではありませんが、パチンコだって同じ筈です。もちろん、カジノだって楽しい時間を過ごすために存在している筈です。
しかし、国会で今、進んでいるような話の流れでカジノが出来た時、果たして多くの人はカジノを「楽しい場所」として認識するでしょうか?そのカジノに出入りする人が「何か悪いことをしている人」のように見られたりしないでしょうか?そのカジノに出入りしている人も悪いことをしているような後ろめたさを感じたりしないでしょうか?楽しい場所である筈のカジノがそんな場所になってしまったのでは、果たして産業として成立するでしょうか?
国会議員さん達が何とか頑張らなければ、導入することができないギャンブル施設なのですから、協力してくれない議員さん達が何を言い、どんな態度に出るのかは、事前に想像できた筈なのですよ。そんな状況下でも、海外競馬の馬券が購入できるようになったりと、国会議員さん達に頑張ってもらう形で、既存の公営ギャンブルは何とかしてきたのですよ。どうして、そんな歴史に学ばずに物事を進めようとするのでしょうか?
確かに、既存の公営ギャンブルに関しては、共産党を含む野党側にまで、様々な形で利権が存在することが、カジノと大きく異なる点であるのかもしれません。でもいいんですよ、別に誰が利権を握っていても。俺たちがそのギャンブルを楽しむことが出来れば、政治家さんたちが様々な甘い汁を吸っていても、気にしませんよ。もちろん、そんな利権はない方がいいし、「その分は券を買っている俺たちに還元してくれ」という気持ちはありますよ。それでも、その場で楽しむことが出来るのであれば、多少のことは我慢しますよ。既存の公営ギャンブルと同様に、共産党あたりにまで利権がもたらされるような方向で物事を考えるなり、根回しをするなり、そうやって時間をかけて導入に漕ぎ着けるべきモノじゃないのですか、「楽しい場所」なのですから。
反対する野党が内閣不信任案まで出して、法案成立に抵抗するような、そんな性質のものではない筈ですよ、カジノって。せめて「収益金を西日本豪雨被災地への義援金にします」ぐらいの話をしなさいよ。実際にカジノが出来た頃には、その役割はあまり意味がなくなっているのかもしれないことは、承知の上で書いていますが。
このカジノを巡る騒動で、カジノだけではなく、全てのギャンブル産業とその愛好者に対しての社会的なイメージが悪化しないか、私はその点を懸念しております。余計なことしかしませんね、カジノ推進派は。
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