[コラム]「鞍上は石崎・・・、以上」
私が某広告代理店の若手社員だった頃のことである。当時はどうしても中央競馬の開催がある土日に出勤しなければならないことがあり、仕方がなく、不貞腐れながら土日に働いていることも多かった。その出勤した分は、平日に振替休暇という形で休みを取ることになる。
競馬場にいる筈の土日が仕事で潰れたのだから、平日に貰った休暇は競馬の為に使いたくなる。私が住む首都圏は、平日にも大井・川崎・船橋・浦和のいずれかで競馬開催がある。中央競馬だけではなく、地方競馬にも目を向けるようになったのは、そんな当時の環境がきっかけのひとつだった。
中央競馬と地方競馬で異なる点はいくつかある。地方競馬にあって中央競馬にないモノ、のひとつに、場立ちの予想業者さんの存在がある。ある予想業者さんが当時、石崎隆之騎手(船橋)の騎乗馬について評する際、よく利用していたフレーズがある。
「鞍上は石崎・・・、以上」
その馬の戦績とか、パドックでの歩様とか、そんな話とは無関係に、石崎隆之騎手が乗るのだから、その馬は押さえておきなさい、という意味である。予想業者がそんなことを言ってしまったのでは、その予想業者は仕事をサボっているのと同じだ、と言いたい人もいるに違いない。
だが、「とりあえず、石崎は押さえておけ」というのは、そんなに間違いとは言えなかった。たまに大井・川崎・船橋・浦和に行く人間にとって、馬柱表を見てもどの馬が強いのか、全くわからない顔ぶれで行われることも珍しくない、地方競馬の下級条件は馬券を買う根拠が「騎手」しかない、というケースも少なくなかった。その日、全く馬券が当たっていなかった時などには、石崎隆之騎手に助けてもらったことも少なくなかった。その代わり、常に人気になってしまうので、堅い馬券しか当たらなかったけど・・・。
当時の私はまだ「競馬Webサイト管理人」ではなかった。後にWebサイトを立ち上げて、競馬場にカメラを持って行くようになると、その予想業者さんは「鞍上は石崎・・・、以上」などとは言わなくなっていた。この文章を書く前に、自分がストックしている写真の中に石崎隆之騎手が写っているものがないか、探してみたが見つからなかった。これまで書いてきた話は、私が「競馬Webサイト管理人」になる前の話だったのである。だから「活躍している石崎隆之騎手」の姿を私は撮ることができていない。
「鞍上は石崎・・・、以上」だった頃の石崎隆之騎手のポジションを、後に奪ったのは内田博幸騎手や戸崎圭太騎手ということになる。そして、その内田博幸騎手や戸崎圭太騎手が中央競馬に移籍した今は、森泰斗騎手(船橋)がその座にいる、と考えていいだろう。中央競馬に移籍する直前の内田博幸騎手や戸崎圭太騎手、そして今の森泰斗騎手は、数字の面で考えると「鞍上は石崎・・・、以上」だった頃の石崎隆之騎手と遜色ない実績を残している、と言っても間違ってはいないのかもしれない。だが、あの当時の石崎隆之騎手と比較すると何かが違う。前述の予想業者さんは今も現役だが、「鞍上は森泰斗・・・、以上」などと言っているのを聞いたことはない。
一体、何が違うのか?などという、つまらない話をするつもりはない。私なりの考えを書いても意味はない。大井・川崎・船橋・浦和にそんな時代があったのだよ、という話でいいのではないだろうか。数字の上で同じレベルの騎手、いや成績面で上回る騎手が今後現れたとしても、石崎隆之騎手が南関東で、いや地方競馬でナンバーワンだった時代はもう帰ってこない、ということなのだろう。
その石崎隆之騎手が今年3月末で引退することが発表された。寂しい、などと書くつもりはない。ただ、「鞍上は石崎・・・、以上」だった時代を私以上に詳しく知っている人はたくさんいる筈である。そんな人達に、あの当時をもっとメディアで語って欲しいのだが・・・。
石崎隆之騎手、お疲れ様でした。