[日記]「元カノ」の死・・・

2019/04/19

例の外出先におります。昨日、JCOMのオンデマンドで「ボヘミアン・ラプソディ」を観てしまったので、頭の中でクイーンの曲が延々と流れ続けています・・・。

さて、昨日ツイートした、この話題について少々。


今思えば、ヒシアマゾンが走っていた時代から、既に人としてぶっ壊れていたんだな、オレ。でも、あの頃見たヒシアマゾンやナリタブライアンの存在が、今日の競馬好きな自分を作ったことは間違いなくて、その結果として「人としてぶっ壊れた自分」になったことを後悔するどころか、幸せに感じているのですが・・・。

「ニュース」の枠でもお伝えした通り、ヒシアマゾンが死亡しました。

[競馬ニュース]ヒシアマゾンが死亡

28歳か・・・。長生きしたんだなあ・・・。本日、ヒシアマゾン関連のツイートを2件ほど、リツイートしました。

 


私も川島明さんや津島亜由子さんと同様、ヒシアマゾンが勝ったレースで最も印象に残っているのは、1994年のクリスタルカップです。どんなレースだったのか?については、検索して動画を探してみて頂ければ、と思います。

今の若い競馬好きに「クリスタルカップ」と言っても、そもそもどんなレースだったのか、ご存知ないですよね。2005年を最後に廃止になってしまったG3の重賞競走ですので、仕方がないと思います。3~4月に3歳馬限定(当時の年齢表記では4歳でしたが)で、中山競馬場の芝1200メートル戦で行われていた重賞競走でした。後にエリザベス女王杯や京都大賞典を勝つような馬にとって、6ハロン戦というのは、当然の事ながら、距離不足でした。しかし、その距離不足を驚愕の末脚でカバーし、差し切り勝ちを決めてしまったのです。

どうして、そんな強い3歳牝馬が、6ハロン戦のクリスタルカップだったり、まだNHKマイルカップのトライアルになる以前のニュージーランドトロフィーを使わなければならなかったりしたのか、若い競馬好きの方には理解できないかもしれません。あの当時、マル外(外国産馬のことを、みんなそう呼んでいました)は牝馬の場合、桜花賞やオークスに出走できなかったのです。同様に牡馬もマル外は、皐月賞、日本ダービー、菊花賞に出走できませんでした。

強いマル外の馬が出現する度に、「どうしてマル外はクラシックレースに出走できないのか?」という議論が様々なところで沸騰していたことを覚えています。当時はまだインターネットが普及していませんでしたので、沸騰していたのは「週刊競馬ブック」などの活字メディアが中心でした。出走できなかった理由は「馬産地保護」だった訳ですが、こうした出走制限を批判するライター氏が書いた記事に「ペンの暴力だ!!」という生産者側の厳しい反論もあったりなんかして・・・。「マル外」という言い方自体が死語になりつつある今日の状況を考えると、あの議論というか、騒動というか、そういった全ての動きが懐かしくさえ思えてきます。

とりとめもなく、あの頃の思い出を書き続けていますが、競馬というモノの面白さを知る過程に存在した馬ですから、思い入れもあります。結構、馬券で稼がせてもらいましたしね。そんな牝馬はつい、恋人扱いしたくなってしまうのです。でも同じことを言ってた競馬バカは、たぶんオレだけじゃなかったのでは・・・。

人としてぶっ壊れてるのに、それでも未だに競馬を続けているのは君のせいだよ、ヒシアマゾン。でも、それでオイラは幸せです。ありがとう、ヒシアマゾン。お疲れ様!!

 

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