[日記]「元カノ」の死・・・
2019/04/19
例の外出先におります。昨日、JCOMのオンデマンドで「ボヘミアン・ラプソディ」を観てしまったので、頭の中でクイーンの曲が延々と流れ続けています・・・。
さて、昨日ツイートした、この話題について少々。
競馬初心者だった頃、「ヒシアマゾンはオレの彼女」と言っていたことを思い出しました・・・。
— 菅野一郎(競馬Webサイト管理人) (@Ichiro_Kanno) 2019年4月17日
今思えば、ヒシアマゾンが走っていた時代から、既に人としてぶっ壊れていたんだな、オレ。でも、あの頃見たヒシアマゾンやナリタブライアンの存在が、今日の競馬好きな自分を作ったことは間違いなくて、その結果として「人としてぶっ壊れた自分」になったことを後悔するどころか、幸せに感じているのですが・・・。
「ニュース」の枠でもお伝えした通り、ヒシアマゾンが死亡しました。
28歳か・・・。長生きしたんだなあ・・・。本日、ヒシアマゾン関連のツイートを2件ほど、リツイートしました。
競馬のすごさを伝えるためにいつも友達なんかに見せていた動画はやっぱりヒシアマゾンのクリスタルCだったな。
競馬はわからないという人には動画サイトなんかでそれだけでも見て欲しいです。アマゾンの名にふさわしいあの豪脚を。— 川島明 (@akira5423) 2019年4月17日
中舘さんもやっぱりクリスタルCのことを。最後の直線、ヒシアマゾンだけが二倍速に見えた
https://t.co/8wg8gFsvCw https://t.co/C07li8STJq
— 津島亜由子(ロンドンお昼寝クラブNo.2) (@ayuko_tsushima) 2019年4月18日
私も川島明さんや津島亜由子さんと同様、ヒシアマゾンが勝ったレースで最も印象に残っているのは、1994年のクリスタルカップです。どんなレースだったのか?については、検索して動画を探してみて頂ければ、と思います。
今の若い競馬好きに「クリスタルカップ」と言っても、そもそもどんなレースだったのか、ご存知ないですよね。2005年を最後に廃止になってしまったG3の重賞競走ですので、仕方がないと思います。3~4月に3歳馬限定(当時の年齢表記では4歳でしたが)で、中山競馬場の芝1200メートル戦で行われていた重賞競走でした。後にエリザベス女王杯や京都大賞典を勝つような馬にとって、6ハロン戦というのは、当然の事ながら、距離不足でした。しかし、その距離不足を驚愕の末脚でカバーし、差し切り勝ちを決めてしまったのです。
どうして、そんな強い3歳牝馬が、6ハロン戦のクリスタルカップだったり、まだNHKマイルカップのトライアルになる以前のニュージーランドトロフィーを使わなければならなかったりしたのか、若い競馬好きの方には理解できないかもしれません。あの当時、マル外(外国産馬のことを、みんなそう呼んでいました)は牝馬の場合、桜花賞やオークスに出走できなかったのです。同様に牡馬もマル外は、皐月賞、日本ダービー、菊花賞に出走できませんでした。
強いマル外の馬が出現する度に、「どうしてマル外はクラシックレースに出走できないのか?」という議論が様々なところで沸騰していたことを覚えています。当時はまだインターネットが普及していませんでしたので、沸騰していたのは「週刊競馬ブック」などの活字メディアが中心でした。出走できなかった理由は「馬産地保護」だった訳ですが、こうした出走制限を批判するライター氏が書いた記事に「ペンの暴力だ!!」という生産者側の厳しい反論もあったりなんかして・・・。「マル外」という言い方自体が死語になりつつある今日の状況を考えると、あの議論というか、騒動というか、そういった全ての動きが懐かしくさえ思えてきます。
とりとめもなく、あの頃の思い出を書き続けていますが、競馬というモノの面白さを知る過程に存在した馬ですから、思い入れもあります。結構、馬券で稼がせてもらいましたしね。そんな牝馬はつい、恋人扱いしたくなってしまうのです。でも同じことを言ってた競馬バカは、たぶんオレだけじゃなかったのでは・・・。
人としてぶっ壊れてるのに、それでも未だに競馬を続けているのは君のせいだよ、ヒシアマゾン。でも、それでオイラは幸せです。ありがとう、ヒシアマゾン。お疲れ様!!