[コラム]初代帯広市特別嘱託職員・リッキー殿への感謝状
帯広市特別嘱託職員 リッキー殿
私が初めて貴方の姿を見たのは、帯広競馬場ではありませんでした。2006年5月のことだったと思います。貴方は何故か、東京・新宿にある高島屋にいました。その話を最初に聞いた時は「マジで?」と思ったことを覚えています。どういう訳か、ばん馬が新宿にいるのですから・・・。この年に公開された「雪に願うこと」という、帯広競馬場が舞台となり、ばんえい競馬関係者の様子を描いた映画のプロモーションで、貴方は新宿にいらっしゃったのです。
この当時、貴方はまだ現役でした。現役で走っている馬にそんなことをさせるとは、ばんえい競馬って、どれだけユルいのだろう(笑)と思ったことを覚えています。冒頭の写真を撮影したのは、2007年3月24日(土)。この日、貴方は現役最後のレースを迎えていました。そんな日でも、ファンサービスとして「馬車を引く」という仕事を欠かしませんでした。
引退後、貴方は「帯広市特別嘱託職員」として、ばんえい競馬のPRの仕事をする、という話を聞きました。実際に大井競馬場や川崎競馬場に出張している貴方の姿を見ました。地元・帯広では学校なども訪問していたそうですね。ある年の夏、帯広に行った時、街中で行われていたイベントで貴方が馬車を引いていて、その様子をコミュニティFM局の方が「ばん馬のリッキー君もいますよ!!」と生中継でリポートしていた場面に遭遇しました。地元・帯広でも人気者になっていたのですね。
貴方は働き者です。だから、ばんえい競馬の馬券を外した時はいつも「リッキーへの特別手当だ」という言い訳をしていました(笑)。きっと、私よりもたくさん特別手当を出してしまった人もいたことでしょう。でも、そんな言い訳をするのも、ばんえい競馬における楽しみの一つでもありました。
本日、ばんえい十勝の公式サイトでこんな記事を見かけました。
そうでしたか。帯広市特別嘱託職員としても引退されるのですね。少し寂しい気もします。でも、この今月27日(土)は引退式だけではなく、後輩のフクスケ、ハクウンリューへの引継ぎ式でもあるのだとか。素晴らしい!!貴方が帯広市特別嘱託職員の第一人者として活躍されたからこそ、バトンを受け取る後輩がいるのでしょう。文化として、しっかりと根付いている証拠ではないでしょうか。
帯広市嘱託職員を引退した後はどうするのですか?いや、それは余計な質問でしたね。これまで、ばんえい競馬の為に一生懸命働いてこられたのです。ノンビリと余生を過ごしてくださいませ。そして、最後にお礼を言わせてください。ばんえい競馬というモノに興味を持つきっかけを作ってくれたり、ばんえい競馬で楽しませてくれたことを、心より感謝します。貴方は「競馬Webサイト管理人」としての活動範囲を広げるきっかけを作ってくれた存在でした。ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。