[日記]熱かったあの時代を語るのはヤメておきます

本日も例の外出先におります。動きが鈍くて申し訳ありません。

本日の予想・馬券についての結果より、この話題について書かなければなりません。2004年のNHKマイルカップや日本ダービーを制したキングカメハメハが、9日(金)に死亡しました。18歳でした。

プレスリリース(JRA公式サイトより・PDF)

キングカメハメハが世代の頂点に立った、2004年の日本ダービーは、もちろん東京競馬場で見ていました。当時、キングカメハメハは単勝オッズ2.6倍の1番人気でした。

この時、単勝2番人気(3.3倍)だった馬をご記憶でしょうか?そうです、コスモバルクです。道営・ホッカイドウ競馬所属のまま、JRAのG1レースに殴り込みをかけるコスモバルクの存在が話題となった年でした。

そして、キングカメハメハの手綱を取った安藤勝己元騎手は、笠松競馬出身のジョッキーでした。中央と地方の境界線を乗り越えた騎手や、乗り越えようと挑んだ馬の存在に、熱い想いを抱いた時期でした。全国の地方競馬がドミノ倒しのように、次々と廃止に追い込まれた時期でもあったのですが・・・。

あれから15年が経過しました。あの当時、その存在に注目した「地方競馬所属騎手・地方競馬出身騎手」は「外国人騎手」に変わりました。そして、コスモバルクは海外でG1を勝ちましたが、JRAのG1は勝てないまま、引退しました。その後、コスモバルクを超えようという地方所属馬は現れていません。何だったのだろう、あの頃は・・・。

先日死亡したディープインパクト、そしてこのキングカメハメハが走っていた頃は、私の「競馬Webサイト管理人」としての活動が最も盛んな時期でした。そんな「熱さ」の真っ只中から10数年が経ちました。札幌にも、新潟にも、小倉にも、どこかの地方競馬にも足を運ぶことが出来ず、都内某所のIT企業で、当たらない予想にため息をつくことしかできない自分がいます。あの「熱い場所」に戻ることが出来ない自分に、怒りというか、もどかしさというか・・・。

あの時代について、語りたいことはたくさんあります。でも、それはヤメておきます。落ちぶれたオッサンの、無駄に熱い昔話ほど、迷惑なモノはないでしょうし。「あの頃は良かった」などと言っても仕方がないですしね。

あの頃に戻るにはどうすればいいのか?いや、あの頃を超えた自分になるにはどうすればいいのか?そんな試行錯誤というか、いや悪戦苦闘というか、いや悪あがきというか、そういったものが全く実を結ばずに時間だけが経過する中、当時を思い出させてくれる存在が次々と、この世の中から消えてしまう今日このごろ・・・。

俺もこのまま、消えてしまうしかないのかなあ・・・。

 

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