[日記]そして9年が経ちました~何かの間違いで生かされていることを自覚して~
本日は例の外出先にはおりません。自宅アパートで延々と書き仕事に没頭しておりました。そして、今は気分転換を兼ねて、自宅アパート近くのファーストフード店におります。グリーンチャンネルWebでダイオライト記念(Jpn2、船橋)を観ながら、この日記を書いています。
今年も「3.11」になりました。9年前も、今年も、自宅アパートで書き仕事に追われていた点では変化がありません。しかし、9年前にやっていた仕事は震災を最後に終了となりました。そして、私は路頭に迷う日々に突入します。
「被災地の人に比べれば、お前の悩みなど大したことはない」「それはお前の自己責任だ」と言われると何も反論できず、「どうしてあの時、ウチのアパートが潰れてガレキにならなかったんだろう。その下で、冷たくなってしまえば、こんな苦しみと直面することはなかったのに・・・」と考える日々が続きました。いや、今もその苦しみは続いているかもしれません。何しろ、1日1食の生活を強いられているのですから・・・。
今、日本は新型コロナウイルス感染拡大という、新たな国難に直面しています。競馬の世界でも、無観客競馬が続いています。しかし、その無観客競馬のおかげで、回ってきた仕事があります。今年の「3.11」はそんな仕事に追われていました。生きていると、何があるかわからないモンだなあ・・・。不可抗力な事態に悩まされることもあれば、その緊急事態をきっかけにして、自分を取り巻く環境が変わる可能性もあるのですから。
きっと、今自分がこうして生きているのは何かの間違いなのだ、と思います。当時、亡くなられた方々より、世の中の役に立っていないのは私の方なのですから。それでも、何かの間違いであったとしても、まだこうして命があるのですから、その生命を活かす術を考えたいと思います。それが「何かの間違いで生かされている」ことへの償いなのかもしれませんしね。