[日記]震災を「忘れる」という権利があってもいいのでは?

前日付の日記をサボってしまったので、本日2本目の日記となります。前回のお詫び日記を書いた後、朝食を買いに近所のコンビニに足を運びましたが、以降は家から一歩も出ませんでした。今夜も昨夜食べる筈だったレトルトカレーとビールがありますので、この後も外出はしないと思います。

東日本大震災から10年ということで、「10年前の3.11」をテレビでは盛んに放送しています。あの震災では、私自身もお叱りを受ける言動があったり、震災を理由に消滅してしまった仕事があったりと、忘れることが出来ない話がたくさんあります。

しかし一方で、あの震災を「忘れたい」という人もいるのではないでしょうか。地震や津波といったものへの恐怖感から震災を「忘れたい」という人もいるでしょうし、家族や友人を失った悲しみがこみ上げてくるので、思い出したくない人もいるでしょう。

そんな人々に「10年前の記憶を風化させるな」というのは、押しつけというか、嫌がらせでしかないように思えます。この10年間、忘れよう、思い出さないようにしよう、と努めてきたからこそ、10年後の自分がいる、という人もいるでしょうし。

未だに行方不明の人もいるのです。そのご家族にしてみれば、「復興」などという言葉は、どこか別の国で進んでいることでしかないかもしれません。「生きる」というのも、辛いことなのですよ。特に亡くなった人の想いも背負って生きるというのは、人によっては地獄のようなことかもしれません。一方でそんな感情を口にすれば、「亡くなった人のことも考えろ」と批判されるのだろうし。

もう少し静かな「3.11」にならないモンでしょうか。今後起こりうる大災害への備えという意味で「風化させるな」という主張も理解できますが、先のことなど考える気にもなれない人もいるのでしょうから。忘れる権利もあっていいのではないかなあ・・・。

あくまで、個人的な見解ですが。

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