[日記]日本サッカー界と日本競馬界の共通点〜「歴史」とどう向き合うか?〜

6日(火)の午後3時を過ぎました。都内某所にある、例の外出先におります。クロアチア戦が延長、そしてPK戦になったことが原因で寝不足です。で、そのPKで日本代表が敗れるとは・・・。

今の私ですが、「競馬Webサイト管理人」としての収入がごく僅かの為(一応、ゼロではありませんが)、競馬関連のゴーストライターをしつつ、ここ「例の外出先」で働きつつ、更に某派遣会社経由となる「別の外出先」で日払いの仕事をしつつ、という形でどうにか生きています。

その「別の外出先」での仕事に、実はJリーグの裏方系の仕事がありまして、最近はこの仕事のおかげで、熱心にスタジアムに通い続けるサポーターの方々も見ることができない世界を目にすることが出来る機会に恵まれています。

おかげで、サッカーの世界における組織力とか経営力などといった視点と勝敗との関連性を、私のホームグランドである競馬との比較で見ることが出来ているように思えます。だから今回のワールドカップはこれまでとは少々異なる視点で見ておりました。だからこそ、感じる話ということで少々お付き合いください。

またしてもベスト8入りを逃したサッカー日本代表の姿が、私にはなかなか凱旋門賞を勝つことが出来ない日本競馬界の姿とダブって見えました。その原因も、サッカーと競馬に共通しているモノがあるように思えます。こういう話は抽象的であり、論理性を欠く話である為、嫌いな人もいるかもしれません。私自身、精神論的な話はあまり好きではありません。しかし、昨夜のクロアチア戦を見る限り、あるいはここ数年の凱旋門賞を見る限り、全く無関係ではないように私には思えます。

その原因は「歴史」ではないでしょうか。

サッカーも、競馬も、日本はまだまだ先進国とは言えません。それでも、それぞれの競技における先進国と呼ぶべき国で取り入れられてきたノウハウを歴史として学び、確実に成長を続けてきました。

とは言っても、クロアチア戦を見る限り、組織を整え、技術を磨いても、先進国が積み上げてきた歴史を乗り越え、塗り替えることは出来ませんでした。あのPK戦はその象徴であるように私には思えてなりません。

歴史というものは、年月を経て積み上げられ、蓄積されるものです。サッカーでも、競馬でも、日本のような後発国はその歴史に学ぶことは出来ても、乗り越えたり、塗り替えることが出来るものではないのでしょう。

こうした歴史を持つ国と渡り合うには、その歴史で培われた常識とは別のアプローチで戦いを挑むしかないのだろうと思います。今回のワールドカップで言えば、スペインやドイツといった歴史がある強豪国を相手に日本が勝利した時の戦術が当てはまるのだろう、と素人ながらに思っています。こうした国と同等の歴史を有しているのなら、コスタリカには負けなかった筈です。昨夜のクロアチアも同様ではないでしょうか。

Twitterを見ていたら、一部の元選手・評論家がスペイン戦やドイツ戦での日本の戦術について、「あんなやり方で勝っても、本当に実力がついたとは言えない」と指摘していました。確かに、あの勝ち方は邪道に近いかもしれません。しかし、邪道と言われようと、カッコ悪い戦い方と言われようと、歴史がある強豪国と渡り合うには他に方法がなかったに違いありません。スペインやドイツのようなサッカーにおける歴史を有する国に勝つには、それしかないのだと私は思います。

話を競馬に移しましょう。ここ何年かは、凱旋門賞が終わる度に「日本とフランスにおける馬場の違い」という点が指摘されています。その指摘は、確かに正しいのかもしれません。しかし、凱旋門賞に出走した日本調教馬を管理する調教師さんや、手綱を取った騎手のコメントなどを見ていると、馬場の違いは些細なものでしかないのかも・・・、と感じることがあります。

その内容には、日本競馬界が容易に乗り越えることが出来ない、フランス競馬界の、あるいは欧州競馬界の、そして凱旋門賞という歴史が含まれているように、私には思えます。日本の馬が勝つ為には、現地の関係者とは別のアプローチが必要なのかもしれません。

その別のアプローチは、常識に反するものかもしれません。だから本気で取り組むには勇気が必要です。しかし、その勇気を持つことこそが、彼らの歴史を向き合うことであり、そんな歴史を持つ彼らに勝利する手段ではないでしょうか。

かなり身勝手なことを長々と書いてしまいました。しかし、世間一般の道から外れたところで活動してきた私には、サッカーでも、競馬でも、日本のような国が世界のトップクラスと戦う唯一の方法であるように、今回のカタールでのワールドカップを見ながら感じましたので、書いてみました。

皆さんはどうお考えですか?

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