[日記]木曽崇さん、もっと丁寧な情報発信をして頂けないでしょうか?
2日(金)、衆議院内閣委員会で例の「カジノ法案」が可決しました。かつて私はこの件について、2015年の正月にこんなことを書きました。
(新春言いたい放題)どうして「カジノ」じゃなきゃダメなのですか?
この「カジノ」を巡る世論の反応が、私が当時書いた懸念通りになってしまっている印象があり、何とかならないかと思っています。その象徴が、何度か取り上げてきた「日本で数少ないカジノの専門研究者」だという、木曽崇さんという方の記事です。
この記事までは別に文句を言うべき点はなかったのです。
むしろ、私も国会審議の現状について、参考になる内容でした。でもどうしてこういう話になっちゃうのでしょうか?
無責任にギャンブルを社会拡散する東京新聞が許せない(BLOGOS)
この記事の中に重大な誤りと言いますか、競馬についてご存知ない方に誤解を与えかねない記述があります。競馬好きの方ならすぐにお気づきでしょう。木曽さんがおっしゃる、東京新聞杯で全国の競馬ファンからかき集めた60億3221万2500円というお金は、東京新聞のフトコロに入る訳でありません。日本中央競馬会(JRA)の売上となります。東京新聞はこのレースを利用して全国の競馬好きに「東京新聞」という名前を広めるべく、お金を出しているに過ぎません。もちろん、競馬という公営競技に関わっていることになるのですから、そんなメディアが「ギャンブル依存症」について語るのはナンセンスだ、という主張は理解できますが、でもそれは揚げ足取りに近い話ではないでしょうか?
私はカジノに関しては決して反対ではありません。でもいわゆる「推進派」の人たちの物事の進め方に懸念を抱いています。「反対派」は「ギャンブル依存症」というキーワードで反論してくることは明確で、その対策をどうするかも同時に世論に示した上で理解を得るべきなのに、その努力を全く怠ったまま、法案を通そうとしています。で、その結果、無責任なメディアからは「ギャンブル依存症」を懸念する話が出てきてしまいます。
本当に迷惑なのは「カジノ推進派」ではなく、既存の公営競技の関係者なのです。いい、悪い、は別にして、それぞれの競技の「ギャンブル」ではない部分をPRして、「ギャンブル」という色を薄め、ファンを獲得しようという努力を進めてきました。それが今日の姿なのです。中にはそんな「ギャンブル色を薄める」という施策が新たな利権を産み、私も大井競馬の例などを挙げて散々批判してきました。でも、それは「ギャンブル」であることを懸念する人々の見方を変え、社会と融合させようという取り組みである点は評価すべきだ、と思っています。ところが一部の「カジノ推進派」が語る「競馬はOKなのに、なぜカジノはNGなのか?」という短絡的な主張により、既存の公営競技が続けてきた努力が水の泡となりかねない方向に世論が進んでいます。「カジノ推進派」の人たちは、既存の公営競技で行われてきた取り組みをちゃんと見ているのでしょうか?このままだと、「カジノ」が認められないどころか、日本中から公営競技が消えてしまいかねません。
木曽崇さん、お願いですから、もう少し丁寧な情報発信を通して「カジノ」を合法化するような流れになるような世論形成に努めて頂けないでしょうか?それとも「カジノ」ができれば、他の公営競技は全て消滅しても構わない、というお考えですか?最後にもう一度書きます。私は1人の競馬好きとして、一連の「カジノ」に関する動きに大きな懸念を持っています。