[日記]福永祐一騎手の話(個人的で、独断的な視点に基づく話でスミマセン)

 

※ワグネリアンで2018年の日本ダービー優勝した際に撮影

20日(月)の夜9時になろうとしています。例の外出先から帰宅して、この日記を書いています。相変わらず、競馬やこのサイト以外のことに多くの時間が奪われている毎日が続いています。

それでも、少しだけ競馬について書く時間が出来ました。そこで、昨日19日(日)の東京競馬場で日本での最終騎乗を終えた福永祐一騎手の話を少々。私自身の勝手な想いに基づく話である点をお許しください。

私が生で福永祐一騎手を初めて見たのは、デビューの前年となった1995年に東京競馬場で行われた、競馬学校騎手課程生徒による公開模擬レースでした。

パドックで騎乗した「福永祐一騎手候補生」に、「親父さんの分もガンバレ!!」と声をかけていた初老の男性がいたことを覚えています。父親である福永洋一さんについては、書籍などで読んで現役時代の活躍や落馬事故のことを当時から知ってはいましたが、リアルタイムで見ていた訳ではありません。知識としては理解していても、その当時の雰囲気を含めた感覚的な視点での把握はできません。しかし、その初老の男性のおかげで、この福永祐一という人は大きなモノを背負いながら、この世界に入ってきたのだ、ということを十分に理解出来た気がしたことを覚えています。

もちろん外から見ていた私よりも、福永祐一騎手自身が福永洋一さんという父親の存在をもっと大きく背負いながら、騎手人生を送っていたに違いありません。2018年にワグネリアンとのコンビでダービー制覇を果たした時のコメントからも、19日(日)のコメントからも、父親について触れていることからも良く理解できます。

オールドファンの方々が父親との比較で福永祐一騎手を見てしまうのは、仕方がないでしょう。数字上は父親を超えている筈ですが、それでも超えられない何かを感じている人もいるかもしれません。もしかするとご本人も・・・。

私は「騎手のセカンドキャリア」にもっと選択肢があるべきだと思っています。JRAも現役時代を含め、様々なサポートをすることで、調教師をはじめとする厩舎関係者以外の道がより模索されるべきだ、と思っています。

しかし、この意見を今回の福永祐一騎手引退という出来事と関連付けて語るつもりはありません。騎手という職業を成し遂げた上で調教師に転身するという、父親が成し遂げられなかった道へ進んでこそ、という側面もあるでしょうし。福永祐一騎手は、騎手として、アスリートとして、情報発信力に長けた人だっただけに、この調教師という選択に残念な想いもありますが、それはきっと我々ファンが求めてはいけないモノなのでしょう。

何度か書いていますが、私はサラリーマンを辞め、ピンで活動するようになった頃から、調教師や騎手の引退、という場面に出会す度に、あるべきセカンドキャリアの姿とは別に、「この人は今、人生の岐路に立っているんだ」という視点でその様子を見るようになりました。競馬社会から求められる期待やその評価とは別に、これまで歩んできた道があり、守らなければならない家族がいて・・・、という中での決断という視点を感じるのは、今回の福永祐一騎手のケースでも同様です。

冒頭で触れた通り、これは私自身で、独断的な勝手な想いを綴ったモノです。全く違う思いを抱く人もいるでしょう。気分を害された方がいたとしたら申し訳ありません。そして、どうでもいい話を長々とスミマセン。

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