[日記]「競馬」と「ギャンブル依存症」
前日付の日記に関して、木曽崇さんとTwitterでちょっとした議論になりました。実はあの時、私は山手線の中におりました。例の外出先に向かう途中でした。
で、例の外出先で競馬とは全く無関係な仕事をしながら、ふと思ったことがあります。恐らく、JRAをはじめ、競馬関連の各団体は「ギャンブル依存症」などという話に関して、その対策に真剣に頭を悩ませたことはないと思います。理由は木曽さん的に言えば、「競馬産業の怠慢」なのかもしれません。それも理由のひとつでしょう。私もその点については否定しません。
でももっと大きな理由があるような気がします。競馬産業が一般社会から「ギャンブル依存症」の対策などを求められたことさえ、これまでなかったのでは?厳密に言えば、場外発売所を開設したり、ナイター競馬をスタートさせる際に「反対派」が「ギャンブル依存症」というキーワードを使用したケースはあったかもしれません。地方競馬の存廃問題でもそんな話が出てきたことはあったような記憶はあります。でも本格的にその対策を社会から求められた、という話はないような気がします。どうしてでしょうか?
競馬に関しては、日本共産党あたりにまで利権が存在するからでしょうか?それも否定はしません(笑)。でも政治家さん達の力とは無関係に、「馬たちが競い合う姿は美しい」という話で巧みに誤魔化すことに成功してきたからではないでしょうか?広告屋さん的に言えば、「ブランディング」のようなモノが成功している、ということでしょう。一般社会が「競馬」に対して抱く懸念を、「馬たちが競い合う姿は美しい」という話を前面に推し出すことでどうにかしてきた、ということではないでしょうか。
正直、私自身も「それってどうなの?」と思う部分はあります。今年、ばんえい競馬で発生したいくつかの不祥事を乗り越えてしまった手法もコレですから。当時、木曽崇さんが「ファンが不買運動を起こすべきだ」と主張されていたことを覚えていますが、そんな話にならなかったのも同様の理由でしょう。「それでいいのか?」という想いは私にもありますが、一方で「馬たちが競い合う姿は美しい」という話を世間に浸透させるのも、そんなに容易な話ではありません。時間も、労力も、そしてもちろんお金も必要です。私のように何かとケチをつける輩もいますしね(笑)。それを簡単に覆して「競馬が認められるのだから、カジノを認めろ」などという話で勝手に「競馬」を巻き込もうとするのは、短絡的すぎると言わざるを得ないでしょう。
こうした競馬産業におけるやり方も、ある意味では「ギャンブル依存症対策」と言えるのかもしれません。対策と言っても、「ギャンブル依存症」を無くす対策ではなく、「ギャンブル依存症」への不安を煽る人への対策ですけどね(笑)。でもその対策が、その「ギャンブル依存症」というキーワードでカジノ法案を批判する政党やメディアの揚げ足取りだけ、というのは、あまりにも寂しくないですか?(笑)
この法案ですが、どうせ「数の論理」で成立するんでしょう?野党がどんなにワチャワチャと騒いでも、成立させちゃうんでしょう?だから、こんなに雑な物事の進め方になっているのかもしれませんが、もう少し他のギャンブル産業に迷惑をかけない形でやることができないモンですかね?私が言いたいコトは実はソレだけだったりするのですが(笑)。