[日記]「表彰しない」は「処分」とは言えません 表彰されない人だったらどうなるのでしょうか?

昨日付の日記で書いた雑賀正光調教師(高知)の件について、例の外出先で競馬と無関係な仕事をしながら色々と考えていたのですが、考えれば考えるほど「トンデモナイ話」のような気がします。

もし同調教師が最優秀勝利回数調教師賞を受賞するような成績を2016年に残していなかったとしたら、今回の事態が表沙汰になる可能性は恐らくなかったのではないでしょうか?そうだとすると、そんな中で行われた「調教師課程受講者選定にかかる学力審査」は何の問題もないもの、として取り扱われていた可能性が高くなります。果たして、それでいいのでしょうか?

同調教師の行為が何らかの処分を科す必要性があるレベルのモノであることは、言うまでもありません。地方競馬における調教師免許の制度における公正さに対する疑念を多くの人に抱かせる行為だと思います。果たして「表彰しない」というのは、処分と言えるでしょうか?私はこれは処分ではないと思います。もし表彰の対象となる成績を残していない調教師さんだったらどうなるのでしょうか?本来、処分は「表彰」とは別に存在すべきモノである筈です。一部のスポーツ紙の報道等を見ていると、そのような処分が行われるような話にはならないようですが、私にはその理由が全く理解できません。もう一度書きます。「表彰しない」は「処分」ではありません。

そしてもうひとつ、これはまた悪者になることを覚悟の上で指摘しておきたいと思います。この問題となった「学力審査」ですが、高知競馬場だけで行われているものではない筈です。全国の地方競馬場で行われている筈です。高知競馬場以外の競馬場では、果たして適切な監視の下で「学力審査」が行われているのでしょうか?今回の事態が「NARグランプリ2016の表彰に関わる話だったために、たまたま表沙汰になった」というモノであることを踏まえて考えると、「今まではどうだったのか?高知以外ではどうなのか?」という疑念を抱かざるを得ません。

地方競馬全国協会(NAR)はこうした点について、詳細な説明をすべきだ、と私は考えます。また、この日記を書いている時点で、高知競馬公式サイトでは、この件について全く触れられていません。何らかの発表があって然るべきだと思いますが、どうなのでしょうか?

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