[日記]改めて「ギャンブル依存症」を考えてみる
2017/04/06
本日からしばらくの間、予想コンテンツは「例の手法」のみとなります。理由は、馬券を買うお金がないからです。桜花賞も、中山グランドジャンプも、皐月賞も、馬券はお休みです。先程まで、笠松の新緑賞をネットで見ていましたが、馬券を買わずにレースを見るのは、ツマラナイものですね・・・。
そんな人間が書くのも何ですが(笑)、「ギャンブル依存症」の話でも。最近の日記からの流れということでひとつ。これから書く話は、「オイ、そこのネットチンピラ!!いい加減、黙ってろ!!」という話ではないでしょうか。でも私は競馬業界の関係者でも、メディア関係者でもありませんが、こういう話はむしろこうした業界に全く無関係な人間が書くしかないだろう、と思いますので、そのつもりで読んで頂ければ、と思います。読んで気分が悪くなったとしても、責任を取るつもりは全くありませんので、そのつもりでひとつ。
いきなり何ですが、競馬、競輪、競艇、オートレースといった公営競技が、「ギャンブル依存症対策」などというモノにクソ真面目に取り組んだら、何が起きるでしょうか?恐らく、産業規模が縮小します。売上は間違いなくダウンするでしょうね。最近、地方競馬の売上が回復傾向にあることが報じられていますが、恐らくまた逆戻りすることでしょう。その地方競馬では、また存廃問題が浮上するのではないでしょうか。
これから進出しようとするカジノの業界関係者が、公営競技における「ギャンブル依存症対策」に対する取り組みの鈍さを批判しているようです。仕方がありません。売上の一部を依存症の人たちが支えているのですから。クソ真面目に取り組むことで、産業規模が縮小し、職を失う人たちが出てくる可能性があるのなら、本気にならないのは当たり前です。では何故、カジノの導入が議論される以前に、公営競技の業界で「ギャンブル依存症対策」などという話が語られてこなかったのでしょうか?
そもそも「ギャンブル」というモノは、社会に存在しなくても困る人は誰もいません。それは、競馬も、競輪も、競艇も、オートレースも同じです。カジノだって、同じようなモノである筈です。しかも「ギャンブル依存症」のような負の側面を持つ存在なのですから、こうした存在が社会に認められるためには、その存在意義を社会に示さなければなりません。
だから、売上金の一部はこんな公共事業に使われます、という話をするのです。この国には(あるいは自治体には)、国民からの税金とは別にこんな財源もあるのですよ、とアピールすることで存在意義を示すしかないのです。そして、東日本大震災や熊本地震のような大きな災害があった時は「震災復興支援競走」などという形で開催を行い、売上金の一部を被災地に拠出する、そしてさらにその競技のプレイヤー達(競馬で言えば、騎手など)が場内で募金活動をする、などといった活動をし、社会貢献をしていることをアピールします。こうして、「ギャンブル依存症」などといった負の側面を持つ存在をこうした社会貢献によって理解してもらうことにより、ファン以外の人にもその存在を認めてもらおうと努めているのです。つまり、世を忍びながら、社会の理解を得る形で今日まで存在してきた、ということになります。「社会に存在しなくても問題ない」という存在から「必要悪」という存在にまで何とか進化できた、と言うべきでしょうか。だから、これまで「ギャンブル依存症」などという話について、対策を求められることなく、何とかその存在を維持することができた、と私は考えています。
恐らく、カジノは同じギャンブルの中でも別物なのでしょう。所得審査などによる会員制を導入して入場制限を設けれることができるのですから、社会に頭を垂れるようなことをしなくても「ギャンブル依存症対策は万全です」と言えるのでしょう。G1レースになると10万人以上の人が現場に駆け付ける競馬で同じことができる筈がありません。昨年末にカジノ評論家の木曽崇さんとTwitterで議論になった時、木曽崇さんは私に「カジノの面白さなんて、一般大衆に理解されなくたって構わない」と語っていました。つまり、彼らの本音は、
「俺たちは競馬場に集まるような貧乏人なんか、最初から相手にしてね~よ。バーカ!!」
といったところなのでしょう。だったら、反対派から「ギャンブル依存症」に対する批判を受けた時も同じ事を言えばいいだけのことなのです。富裕層向けの遊びであって、一攫千金を目指す貧乏人は相手にしない、というだけで済む話なのです。それなのに、カジノ推進派たちは、公営競技で十分な対策が出来ていない、という話を持ち出して、既存の公営競技側まで巻き込んだ議論をし始めた。私はそう理解しています。
恐らく、カジノ推進派の連中は、
「カジノが世の中に認められて、ビジネスとして成立するのであれば、既存の公営競技なんかぶっ潰れても知らね~よ」
という姿勢なのでしょうね。だから「ギャンブル依存症対策」という観点において、いかにも自分たちに正義があるようなモノの言い方をして、偉そうにしているのでしょう。自分たちだって「ギャンブル依存症への懸念」という指摘を受ける、あるいはその指摘が予測される状況でなければ、「ギャンブル依存症」など知らないフリをして「カジノをやりたいです」と言っていたに違いないのに・・・。
まあ、このまま下手をすると、地方競馬の売上回復などもあって再び上昇気流に乗り始めた競馬産業は、このカジノ推進派のせいで大打撃を受ける日がやってくるのでしょう。私などは「馬券を買ってはいけない人」になってしまったりするのかな?そうなったら、このサイトも閉鎖ですね。まあ、それを喜ぶ人もいるのかもしれませんが(笑)。